トイレの哲学シリーズ(14) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、自分とは何者か?考えれば考えるほど分からなくなる。

自分を自分と認識している自分がいる。

その認識する自分とは何者なのか。

この話をすると、荘子の胡蝶の夢が出て来る。

夢の中で自分は蝶になって飛び回っていて、自分を蝶だと認識している。

そう認識する自分と、夢がさめた後自分を荘子だと認識する自分とどこがちがうのか?

普通に自分(ぼくでもいいや)と言うとき、その自分は自分を自分と認識しているところの自分ではないはずだ。

ややこしいから、自分を自分と認識している自分を「背後の自分」と呼ぼう。

すると、自分は自分が演じているところの自分であって、本当の自分は背後の自分なのだ。

人間社会では自分というアイデンティティを持っていないと、生活できない。

たぶん、人間以外の社会は自分という概念を持っていなくても生きていけるだろう。

以前書いた通り、人間社会はヴァーチャルな世界(約束事ばかりの世界)なのだから、自分というものを演じる自分を作らなければならない。

演劇の舞台に立つ役者のようなものである。

表の自分は仮面を付けて、背後の自分はすっぴんなのだ。

自分と言うとき、この二つの自分をきちんと分けていなければならないはずである。

ところが、これを混同している人が殆どじゃないだろうか?

どちらが本当の自分かというと、背後の自分だろう。

なのに、だいたい自分の行動を決するのは、背後の自分ではなくて、演じている方の自分だ。

例えば、本当は好きじゃないのに、一緒に行動しなきゃならないとか。

こういう格好をしたいのに、制服を着るとか。

本当は反対なのに賛成するとか。

極端な例だけど、死にたくないのに、突撃して玉砕するとか。

主導権が逆転してしまうのは、どうしてだろう?