・・・・・・・っということで、東北を旅行する者は「蝦夷(えみし)」の存在を素通りすることは出来ないでしょう。
多賀城のガイドのじいさんに質問攻めしたけれど、イマイチ分からない。
多賀城は大和政権の北の重要拠点。
そして、西の拠点はご存知、太宰府です。
多賀城はそれほど重要視されていたのですね。
ガイドが説明してくれた通り、当時の東海道の終点は江戸ではなく多賀城だったというのは、大袈裟じゃなかったんですね。
ご存じの通り、東北地方に住んでいたのは蝦夷たちでした。
北海道に住んでいる人たちは蝦夷(えぞ)で、アイヌと呼ばれる人々です。
これら二つの民族は同じとする意見と別だとの説があるそうですが、ぼくは、同じだと思います。
何故なら、柳田国男の遠野物語に地名の説明がありますが、アイヌの言葉が元になっていると書かれているからです。
その違いは、稲作をしていたかいないかの差であって、民族的には同種と考えます。
彼らはいわゆる縄文人です。
狩猟採集と農耕民族ですね。
人間同士ですから、多少の争いは避けられません。
しかし、彼らが「好戦的」であったとはどうしても信じられません。
何故なら、白神山地や奥入瀬渓流を見て思ったのですが、東北の自然は彼ら縄文人を養うには十分すぎる恵みを与えるキャパシティを持っていることです。
少ない恵みを奪い合う環境とは思えないのです。
多賀城(国府)が置かれたのは、ガイドも、東北歴史博物館も、律令制を維持するために、彼らからの税収が必要だからと説明されています。
ぼくは、それは副次的な理由だと思うのです。
次に、防衛上の理由があげられます。
まさか、彼らが好戦的であるはずがありません。
確かに、彼らは戦いを挑んだ。
しかし、大和人たちの侵略に抗する止むを得ない反撃だったはずです。
蝦夷やアイヌに対するやり口は、アメリカのインディアン迫害の構図とどうしても重なってしまいます。
インディアンは狂暴、野蛮人だから征服した・・・ですか?
圧倒的な武力でもって、一方的に侵略しただけでしょう。
何故?
金でしょう。
全ては金のためです。
金が欲しいから、あんな北に軍事拠点を置く必要があった。
東大寺の大仏建立の際に資金難に陥ったとき、東北で金が出たと知り、狂喜したじゃないですか。
平泉で藤原氏が栄華を誇ったのも、金のお陰でしょう?
そこんところの説明が抜けているんです。
蝦夷はその犠牲になったのでしょう?
まあ、犠牲になったと書いちゃいましたが、大和人との同化は思いの外早く進んでいきました。
藤原氏は蝦夷だと自称しているうえ、ミイラにして埋葬されていますが、明らかにアイヌ方式です。
東北史で名前がよく出てくる安部氏は、蝦夷だったとする説があります。
蝦夷というと、東北以北の先住民と理解されていますが、ぼくは、日本全土に住んでいたと思うのです。
即ち、蝦夷=縄文人=オリジナル日本人と信じています。
大和人=弥生人=朝鮮からの侵略者=現代日本人とまで言い切ると語弊がありますかね?(;^_^A