・・・・・・・っということで、神を信じるとはどういうことだろう。
神を信じるとは、神そのものを受け入れることだろう。
100%受け入れて、何の疑いもなく信じきることだろう。
それが信者の正しいあり方であり、そうでなければ信者ではないはずだ。
だが、実際はどうだろう?
自分本意、自己中心の信じ方ではないだろうか?
神様に祈る。
自分の成功、幸せ、安全、平和、合格、健康・・・・そして救済。
ぼくは以前、宗教は人を救済するためにある。
救済しないのなら、それは宗教ではないとさえ考えていた。
そしてぼく自身、救済されたいと願った。
最近になって、それは神を信じることとは別だと気付いた。
神を信じるとは無条件でなくてはならないはずだ。
祈る時点で、既に条件を付けているではないか。
条件が満たされないと神を信じないのか。
遠藤周作も、ぼくの知っているキリスト教信者、そして十字架に架けられたキリストでさえも神に疑問を投げかけたではないか。
信じる者と神の間に何かが存在して良いのか?
介在して良いのか?
全幅の信頼を置いているのだから、神とはダイレクトに繋がっていなくてはならないはずだ。
そうしてこそ全てを、自分の命さえも神に任せることが出来るのではないか。
信じるとはそういうことではないか。