【日本人とユダヤ人】 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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【日本人とユダヤ人】
イザヤ・ベンダサン (著)
角川文庫ソフィア文庫
1971年09月発行

学生の頃読んで、今回はその再読である。
当時、大ベストセラーになった本である。
題名が良い。
ユダヤ人と日本人を比べるっという意外性が、ヒットした大きな要素であることは間違いないだろう。

著者であるイザヤ・ベンダサンとは何者か?
この正体不明の著者を詮索することもブームに拍車をかけた。

何で今、30年以上も前に書かれたこの本を、もう一度読みたくなったのか。

それは、ノスタルジーですね。

あの頃、この本を読んでかなり影響を受けたと思う。
いい本だったという記憶がある。
そのあと出版された、「日本教について」も読んだ。

再度同じ本を読んでみて、30年以上経った自分がどのような影響を新たに受けるのか。
あの時、どんな影響をこの本から受けたのか。

そういうことを感じたくて、もう一度この本を手に取ったというわけです。

さて、読書感である。

当時はスラスラと読んだ記憶があるが、今回はかなり時間がかかってしまった。
どーしちゃったんだろう・・・・・・っというのが、第一印象。

山本七平氏の本は殆ど読んでいるが、コレはちょっと雰囲気が違う。
決め付けるような言い方というか、何か挑発しているような印象を受ける。
彼は、あくまで静かに、知的に書く人と思っていたからだ。

こういうちょっと乱暴な書き方は、当時の学生運動が華やかかりし時代の影響を受けていたからだろう。
そういや、知ったかぶりの評論家や、底の浅い知識人とやらが、ウヨウヨ出てきた時代だったからなァ~。
七平氏がこの本を書いたのも、そういう輩に対する反発が動機だったのだろう。
彼に似合わない攻撃的な主張を、イザヤ・ベンダサンに名を借りて行ったのであろう。

じゃあ、100%七平氏が書いたのであろうか。
書いたのは七平氏本人だろうが、この本の論調の元になった実在のユダヤ人がいることは間違いないと思う。

山本七平氏ほど、「日本人とは」ということを追い求めた人はいないと思う。

日本人を別の視点から観察してみるという冒険をするのに、日本人がそれをしたのではインパクトはない。

アメリカ人でもなく、ヨーロッパ人でもない、ユダヤ人を選んだ意味は大きいと思う。

好むと好まざるに関わらず、世界の果て、極東の島で形成された国民と、世界に散らばって他国人の中で生活をしてきた国民の比較。
民族としてのアイデンティティーを、2000年以上にわたって持ち続けるために果たした宗教の役割。
片や、水と安全はタダと考える国民。

今読んでも、大変面白い着眼である。

読み直してみると、殆ど覚えていない。

しかし、安全のために高いホテルに住まうユダヤ人の話。
日本教というユニークな着想。
日本人がパセリを残す話から、教養とか学歴を、刺身のツマに例える話。

そんな、今では常識(?)と思われるまでに定着している考え方は、この本が原点だったのだなァと感慨深いものがある。

この本が、「日本人とは」を考える上で絶対に外せない、重要な本であることは今でも変わらない。

まあ、所々筆が滑ったと思われる箇所はあるが、それが返ってこの本の魅力になっているのだろう。

・・・・・・いうことで、ノスタルジーまでは至らなかったが、昔の自分も、多分同じ感想を持ったに違いない。

・・・・・・オット、最後に書き忘れていたことに気付いた。

確かにこの本は、日本人とユダヤ人の違いを鮮明にしているが、最後に「詩」を持ってきたのは、著者のとてもよいセンスだと思った。
これは、全く違った人間じゃあなく、詩の心を共有できる、本当は同じ人間なんだよというメッセージなのである。