【華麗なるギャツビー】
フィツジェラルド (著)
野崎 孝 (訳)
新潮文庫
1974年6月30日発行
この人の文章スタイルは、好き嫌いがあるように思われる。
私には、読みにくかった。(翻訳のせいもあるだろうが。)
彼のスタイルなのだろうが、文章がまどろっこしい。
男らしい文章じゃないなぁ~。
かといって、女性の文章ではないが。
男ならもっとメリハリ付けろよ!と、尻を蹴飛ばしたくなる。
ある貧乏な男が、金持ちの女性(ヒロイン)をモノにしたくて、ちょっとヤバイ商売に手を染めて、大金持ちになる。
満を持して、結婚して子持ちになったヒロインに、アプローチ。
愛を確かめたうえで奪い去ろうとした途端、(ヒロインの旦那の浮気相手の)女性を、ヒロインが運転する自動車でひき殺してしまう。
彼女の代わりに運転していたといって、自ら罪を被ろうとする。
ところが、浮気相手の旦那に射殺されてしまう。
そしてその旦那は、自殺(たぶん)してしまう。
あれほど、豪勢なパーティーで集まっていた多くの人は、誰一人彼の葬儀に出席しないのであった。
・・・・・・っと、書いてしまえば陳腐なストーリーである。
そんな、一途な男がいるかよ・・・・・・っとの、突っ込みはナシ。
ヒロインも、全く魅力ナシ・・・・・・っとの、批判もナシ。
そんなタイミングよく、浮気相手をひき殺すかよ・・・・・・と、ディーテールの弱点を突くのもナシ。
いいんです。
彼の描きたかったのは、中西部の人々が持つ東部への憧れ。
その、挫折。
上辺だけがきらびやかな生活の実体。
ギャツビーという男の一途な、しかし不器用な愛。
そんな生き方への共感を、語り手としてのニックの姿を通して描く。
ウ~ン、何ともまどろっこしい。
しかし、ナンですなぁ、この中で描かれているアメリカの上流社会。
ここで、まどろっこしくも長々と描写するまでもなく、その本質は知れている。
アメリカ合衆国が独立したのが1776年7月4日である。
この本が書かれたのが、1925年である。
独立からたった149年しか経っていないのである。
アメリカの上流社会といっても、この程度の歴史しか持っていない。
要するに、底が浅いのである。
この事実を知るだけで、彼らの憧れる上流社会というものは、成金の集団でしかないと分かるであろう。
こう考えていくと、この本の物語は、一層アイロニーの色を増してくる。