【人はなぜ「美しい」がわかるのか】 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

【人はなぜ「美しい」がわかるのか】
橋本 治 著
ちくま新書
2002/12/19

本当につまらない本を買ってしまった。
実に下らない。
じゃあナゼ読むのを止めてしまわないかって?

....っそそれは、私が下らなさにたまには浸るのもありかな.....っという心の広い変人だからだけですよ。

著者は東大出だ。
多分頭がいいのだろう。
美について、長々講釈をたれておる。
過去に桃尻ナントカの本を出して、売れっ子になったらしいことは分かる。
東大の学園祭でのコピーが当たったことらしいことも分かる。
だが、この本は酷すぎる。

コイツは美について語る資格はない。
ナゼって?
オメーの文章は全く美しくネー。
自分の書く文に美を織り込めない人間が何で美を語る資格があるのか?

実際こんなヤツが東大出だといって世の中でハバを利かせているのだろうな....っと思うだけで、虫唾が走る。

これって言い過ぎか?
ゼーンゼン。
このくらい言っても分からんやつには分からん。
美と同じだ。

少しは読者のことを考えろよな。
もう少し、自分の意見を言う前に自分なりに整理をしろよな。
実に独善的だ。
オメーのまどろっこしい思考回路にいちいち付き合う読者のことを少しは考えろよな。

ここで、お前に問題を出す。
この本200ページ以上で言いたかったことを、1ページにまとめろっていう問題だ。

こういう問題には、上手く答えるだろう。
さすが、東大生だ。


以上が、電車の中で書いた文だ。
約2/3を読んだ時点での感想だ。読み終わらずに感想文を書くのって、ルール違反だということは分かっている。
お酒が入っていたので、かなり過激な言い回しだ。
だが、シラフのいま読み返しても、私の本音は変わらない。

何で、この本に手が伸びたかというと、「美しいものを見て、美しいと感じる心を持たなくてはならない。」......っという、一見なんの変哲もない言葉を最近大事にしているからだ。

全く何の変哲もない言葉でしょう?
でも、今の世の中ホントーに大切にしたい言葉だと思う。

私の部下が、以前勤めていた会社の先輩に言われた言葉だそうだ。
彼は設計屋で、毎日仕事に追われ、残業続きだったそうだ。
そのとき、言われたそうだ。
その先輩とは、若くして死んでしまったそうだ。......多分過労だろう。

野に咲いている花を見て、素直に美しいと感じる心。当たり前のことが今では、当たり前でなくなってしまった時代だ。
青い空を見て、美しいと。流れる雲を見て、美しいと。夕焼けを見て、美しいと。夜空の星を見て、美しいと。
いったいどれだけの人が、最近において感じたことがあるだろうか。

見渡せば、人工物ばかりだ。
自然はそのままで美しいのに、その自然を感じる環境は我々の眼から隔離されるばかりだ。

いったい空を見て、電線が視界に入らない空が近くにあるだろうか。
我々の時代は、空はあくまで空で、そんな邪魔なものが視界をさえぎることはなかった。
だが、今の子供たちは、そういった空を見るためには、何時間もドライブしなければならない。
生まれながらに、電線という気付かない檻の中に閉じ込められた世界だ。

数年前、私は栃木県に単身赴任していたことがある。
健康のために、マウンテンバイクを45分もかかる通勤に使っていたのだが、ある農道を走っているとき、ナゼかとても気持ちのいい場所があった。
暫くその理由が分からなかったのだが、あるとき気付いた、ナントそこは電線がなかったのだ。

お世辞にも日本の家並みは美しいとはいえない。
何の統一性も感じられない、てんでバラバラだからだ。
だが、その家並みから電線がなくなった場合を思い浮かべて見てみると、案外、味わいのある眺めに変貌する。
一度、皆さんも試してみて欲しい。今見ている景色から、心の中で電線と電柱を消し去るのだ。

せっかく斬新で、美的に設計された建築物でも、背景にある電柱に台無しにされた例は山ほどあるのだ。
全く設計屋泣かせだ。

私は、提唱したい。日本中から電柱と電線をなくす運動だ。
電線は、子供ばかりでなく、大人も含めて日本人全体の心を蝕む病魔だ。
この運動になら、いくら税金を使っても良い。
もし、このようなことを公約の第一に挙げる政治家がいれば、絶対に私の一票は彼のものだ。

まあ、以上のような美に対する私の思い入れから、何か思いを同じにする人がいるのではないかという期待でこの本に手を伸ばしたのだ。

なのに、何だこの本は。全く期待を裏切られたゼ。