
加藤 尚武著
筑摩新書
2003年1月20日発行
この題名だと、読まざるを得ない。
戦争と倫理だ。題名そのものが自己矛盾と言われても仕方ないか。
著者の語り口は、学者だ。紳士だ。そして、真摯でもある。本人の写真からもそんな印象を受ける。
倫理学という言葉は私にとって、未開発の分野だ。(偉そうな言い方をしたが、ただ無知なだけだ。)
書かれた時期が、アメリカによるアフガニスタン攻撃が開始された時期だ。
まだ、イラク戦争は始まっていない。
湾岸戦争は、国際法上は合法だが、アフガン侵攻は違法だとのこと。そうすると、イラク戦争はさらに合法であるはずがない。
確実にエスカレートしている。
今の時点で、著者の意見を聞いてみたい。(当然どこかで発表しているに違いないが。)
21世紀のオープニングファンファーレが、9月11日の同時テロだ。
あれから6年目になったが、まだあの事件を冷静に歴史上の出来事として、分析するに至っていないのだろう。
だが、著者がテロに対する報復攻撃は国際法上違法だという声明(メール)を出したのが、9月19日だ。
早い!
その後、9月24日、9月27日と生命倫理学者として声明を出している。
エライ!
学者はこうでなくてはならない。
その後、その行動に対して、目に見えない妨害があり、自分の生命に危険が及ぶのではないかとビビったことも正直に書いている。
さて、戦争論だ。
時間的制約もあって、過去の論文を繋ぎ合わせて一冊にしているが、議論の要点を外していない。
即ち、トマスモア、ヒロシマ、非戦闘員の殺傷、ナショナリズム東京裁判、、自衛権、そして憲法第9条だ。
その立場、時代によって正義の戦争の定義が変遷してきている。
単に、非戦闘員を殺すことは許されるかという問題でも、最近はそのハードルが限りなく低くなってきている。
ベトナム戦争の初期では、米兵が人間(べトコン)に対して引き金を引くことが出来ないことが問題になった。
米軍は、再度訓練を見直し、機械的に引き金を引けるよう、再訓練をしなければならなかったという。
だが今はどうだ、最近見た映画でも、投降者に対して発砲することは当たり前のような描き方をしている。
多分、今の戦場ではこのようなことは日常茶飯事なのだろう。
昔、(40年以上も前だが)バルジ大作戦という戦争映画の中で、ナチスが米軍捕虜を機関銃で皆殺しにする場面があって、中学生だった私は大変ショックを受けたものだ。
今の子供たちは、そんなにナイーブではないだろう。何たって、ゲームでリアルな市街戦だって経験できるのだ。
この本の中で、新しい視点を教えられたのが、国家が最高位になってしまい、国家を規制するその上のものがなくなってしまったことだ。
昔は、国家の上に宗教(西洋はキリスト教)があって、国家の暴走を食止める可能性を残していたが、いまは国家が戦争の最終決定者になってしまっているという指摘だ。
では、国連がその機能を果たせるか。ムリだろう。
そうなると、国家とは何かとなる。国家のために命を捧げろという問題がでる。
自分の生命を犠牲にして守るものがあるとして、それは国家か?
難しい問題だ。自分の国を守ろうとしない国があったとしたら、侵略を企てる他国のいい餌食だ。
本音と建て前だ。自分は国のために死のうとは思わないが、外国になめられるのもイヤだ。
他にも、東京裁判、原爆の問題たくさん考えさせられるものが多い。
それについてのコメントを私も持っていないわけではない。
だが、次の機会に譲ろう。
著者は、戦争のない恒久平和の実現を信じ続けなければならないという。
その通りだろう
逆に、理想主義と揶揄されても仕方ないのも事実だろう。
だが、戦争は人間の本性だと片付けてしまうのも大いに問題だ。
戦争をするのは、人間だけだ。だが、それが本性と問われれば、もう少し考え直す必要がある。
人間の性善説とか、性悪説とかいわれているが、私は「性弱説」を取る。
人間は弱いから戦争をするのだ。自分が弱いものだと認めれば、逆に強くなれる。
老子の用いたパラドックスだ。
自分が死ぬことを知っている動物は人間だけだ。
人間は何という不幸を背負っていることか。
ここからは当然、じゃあ何で今生きているのかという問いが生まれる。
生まれた目的は?
いつかは必ず死ぬという現実とどう折り合いをつけるか。人間の弱さと強さが試される。
案外気付いていない問題だが、これはとんでもない難しく、重いテーマだ。
死のテーマを扱うために、宗教が生まれたといっても差し支えない。
いまイラクで行っているのは戦争なのだろうか。
テロとの戦いは、戦争なのだろうか。
軍の出番なのだろうか。警察じゃあないのか。
テロの扱いを間違ったために、宗教戦争に変貌しつつある。
テロリストの思うツボにハマっているような気がする。
日本は平和だ。
この平和の代償で、多少国家の品格が失われても仕方ないじゃないか。
世界中で唯一、日本だけが、過去の戦争から教訓を得たと考えてもいいじゃないか。
平和だが、生きるのにカツカツの国が果たして平和といえるかという問いもあった。
だが、今の日本は平和だと言い切っていいのではないか。
これ以上、何を求めるのか?
(今のところ)殺し合いを一生経験せずに済んだ私の世代は幸運だったと心底思う。
次々と考えさせられ、キリがないので、ここでひとまず止めておく。
写真は飛鳥山の桜