【出口のない海】 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
62カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

【出口のない海】
横山秀夫 著
講談社文庫
2006-7-14

この歳になると小説を読もうという気があまり起こらない。スンナリと虚構の世界に身を置けなくなるからだ。ウソだろうとか、この作者下手だななどという雑念が入ってきてしまう。若い頃の感受性がなくなってしまったのが残念だ。
この本もカミサンが買った本で、子供たちに読みなさいと薦めているところを、横から取り上げて行き帰りの通勤電車で一気に読んでしまった。
実は私は涙もろい。主人公が恋人と別れるシーンでは涙が出てきてしまった。前の座席には女子学生が座っている。マズイ。
列車が動き出し、彼女が追いかけてくるアリキタリのシチュエーションだ。なのに、見事にハマってしまった。
我ながら、まだ感受性は健在だ。

......っで、横山秀夫はストーリーテラーとして、なかなか老練な手腕の持ち主だ。伏線としてのサブストーリーの織り込み方も巧い。例えば、コーヒー店のマスターが着ている赤いチョッキの謂れなどは秀逸だ。
読者がある程度予想する先の展開を巧くかわすところなどは、読者を飽きさせない。

だが、最近の小説を読むにつけ感じることは、あまりにも「映画化」を意識していないか?....ってえところ。このまんま映像化すれば、ソノマンマ映画になってしまうという至れり尽くせりの書き方。作者はあまり意識していないのかも知れないが、映画が逆に書き方に影響を与えているのではないか。あるいは、読者が頭の中で映画的なイメージを作り易い書き方のほうが、今の読者にはウケルからだろうか。音の扱いにしても、映画的である。そのままボレロの曲をバックに入れさえすればよい。
この映画版があるのは知っているが、山田洋次監督は殆どすることがなかったのではないか。本で映像化されているものだから、わざわざビデオを借りて見てみようという気持ちがあまり起きない。
何も、この手法にケチをつけているわけではない。日本人の作家ならではの、非常に節度が保たれていて上品だ。
ダメなのは、海外の作家だ。特にアメリカの小説は、映画化を狙って書いているのがミエミエだ。最近流行った「ダヴィンチコード」もその典型だ。同じダン・ブラウンの書いた「天使と悪魔」なんぞは、もうメチャクチャだ。品がない。下品だ。裏に映画化でさらに儲けたいとの根性が見えすぎるからだ。

ウーンやっぱり、ストーリーそのものではなく、雑念が入った読み方をしてしまう。
回天で印象に残っているのは、終戦直後のアメリカ軍が撮った写真で、確か三菱造船所だったか、ズラッと使用されなかった回天が写っている写真。
イヤだったのは、日本技師がそれを笑顔で案内しているのが写っていることだった。(記憶違いかもしれないが。)
私はその写真に非常に引っ掛かったが、この本を読んで私の感性は非常にまともで正常なものであると再確認した次第だ。

あと、特攻に関して個人的な体験は、知覧の特攻記念館を訪問したこと。
涙なしに、あの遺書の数々は読めない。涙もろい私の涙腺は開きっぱなしだった。