・・・・・・・っということで、ぼくらがまだ若かった頃、学校ではもっと個性的であれと先生から何度も言われました。
そう言われて、自分の「個性」って何だろうと、本気で悩んだものです。
その頃は戦後まもなく(とはいってもだいぶ経っていましたが)、まだアメリカの自由主義を無条件で崇拝する傾向が残っていたのでしょう。
アメリカもそういう工作をしていたのかも知れません。
太平洋戦争で万歳攻撃を仕掛けてくる日本兵の恐怖があったのでしょうか。
いまの先生はそんな事を言っているのでしょうか。
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個性なんて誰もが持っているもので、要は個性を出すか出さないかの問題だと皆知っています。
日本人に個性が無いように見えたのは、それをあえて押さえる気質が日本人に備わっているほうに着目すべきなのです。
日本人は調和をと尊ぶ人種なので、誰も彼もが個性を出していては社会が上手く回らないことを生まれながらに知っているのです。
個性を主張しあう社会というのは、ある意味遅れた社会でもあるのです。
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さて、そうはいっても、個性を押さえつけることはあまり推奨された行為ではありません。
困った個性の持ち主は、そもそもそういう自分をコントロールする機能を持たないので、困った人だと言われるのです。
良い方面の個性はどんどん発揮すべきで、社会にとっても発揮してもらうことはプラスなのです。
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いつものように回りくどい出だしですが、日本社会において一番個性をコントロールすることを義務付けられている人がいます。
それは、天皇ではないでしょうか。
総理大臣だって、個性を発揮しすぎて失敗する例もありました。
バカヤロー解散とかね。
その場合は、辞職したり解散すれば済むことなんですね。
だけれど、天皇はそういうことは許されない。
絶対にです。
じゃあ、天皇は個性的ではないのかというと、そんなことは絶対にありません。
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ぼくは天皇にはなれませんが、もし、そういう立場になったら絶対に断りますね。
なんたって瞬間湯沸かし器なのがぼくの個性ですから。
こうやって考えていくと、天皇という立場はものスッゴク疲れる。
それを31年も続けてこられたことに対して、純粋に畏敬の念を持ってしまいます。
じゃあ、平成天皇は個性を押し殺してきたかというとそうじゃない。
様々な規制の中で、平成天皇は行動において個性を発揮された。
それについては、説明する必要ないでしょう。
こんなに難しい立場を、今度は令和天皇が受け継がれる。
・・・この話題については、もう少し続きがあります。