・・・・・・・っということで、重厚長大については以前も書いた気がしますので、今回は「知の重厚長大」について書きます。
新聞を読まなくなったのは、ぼくだけじゃないですよね。
新聞を読んでいる人でも、社説を読む人は少ないでしょう?
漫画と三面記事しか読まない人はザラでしょう。
スマフォのスマートニュースなどのまとめサイトで、さらっと流す程度。
せいぜい10行くらい読んで、次々と切り替える。
スポーツニュースとか、芸能ニュースとか、ロケットニュースとか。(^_^ゞ
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本など重さのあるものは読まない。
読んだとしても、軽い流行作家のものばかり。
古典なんか見向きもしない。
そういう軽いものばかり読んでいると、人間まで「軽薄短小」になるんじゃないですか?
ぼくはそれが心配なのです。
重厚長大は敬遠され、軽薄短小なものばかりが身の回りに溢れ返る。
いいじゃないのそれで。
重厚長大なことは誰かがやってくれるし、考えてくれるからいいじゃない。
世の中、軽くて浅い知識ばかり頭に詰め込んだ人間の方がモテるじゃないの。
ホントーにいいのそれで?
こんな世の中でも、きちっと重厚長大な知識を蓄える人が必ずいるんです。
そんな人の前では軽薄短小な人間は絶対に敵わない。
そんな人が善の人ならいいでしょう。
悪の人だったらどうします?
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いま世の中の世論はレベルダウンしている・・・とぼくは感じています。
知識は断然豊富なのに、昔の世論よりレベルダウンしているのは何故でしょう。
安保闘争や学生運動が華やかかりし頃、資本論だとかツァラストラなんかを解らないなりに読もうとしていた。
動機は議論に負けまいとしてだっただろうが、少なくとも真理とは何かとか哲学的なことを考えていた。
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歴史を少しでもかじった人なら気付くと思いますが、ローマ時代の人間と現代人を比べたら人間の本質は変わっていない。
たった2千年程度で、人間の脳細胞が劇的に増えるはずもない。
逆に、ギリシャでは青年たちが哲学論争をしていたじゃないですか。
アウレリウスの自省録を読めば、現代と変わらぬ悩みを抱えていることが解ります。
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現代の行き過ぎた軽薄短小への信仰に危機感を持ちます。
知の軽薄短小化が進行しているからです。
少しは「知の重厚長大」について考えてみるのはいかがでしょうか。
以上、軽薄短小な意見でした。(;^_^A