下田条約 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・っということで、「下田条約」って聞いたことありますよね。


下田条約は三つあることを知りませんでした。



ペリーの黒船艦隊がやって来て、開国を迫られ横浜で締結したのが「日米和親条約」。



この条約で、下田と函館の二港を開港することになり、補足としてその細部を決めたのがここ了仙寺(りょうせんじ)で、下田条約となります。



日米和親条約の後に、今度は貿易に関する日米修好通商条約を締結したのはご存じの通りです。



その通商条約の前段階の「日米追加条約」というのがあって、前の二港に加え長崎が加えられました。



この条約が締結されたのも下田です。



アメリカ総領事のハリスが下田に赴任していたからです。



実は、下田で締結された上記二つの条約以外にもうひとつ、三番目の条約があります。



相手国は何とロシア。



条約名は「日露和親条約」と言い、交渉相手はプチャーチンでした。



舞台はここ長楽寺です。







この条約でいまも問題になっている北方領土の国境線が決められています。



プチャーチンは乗っていた艦艇が津波で沈没してしまい、戸田で急遽日本人の手によって新しい船を建造するなど、苦労をしています。



プチャーチンはペリーとは異なり、紳士的に交渉を進めたといわれています。



↑ペリー。