人生の目的(その3) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・・っということで、山を登りながら考えた。

人生の目的はなんだろう。

人生に意味があるのだろうか・・・と。


自分が生きる目的をを見つけたら、取捨選択がなされるはずだ。

だって、目的に合致しないものには構っていられないからだ。

合うものだけ選択し、合わなければ合うように変革するだろう。

それが人生の目的を持った人の生き方になるだろうか。

そういう生き方が、人生の意味だろうか。


一神教の西洋はそういう生き方に価値を見出す。

目的に向かって生きることこそ、価値のある人生を送るのだと。

人生の目的も見つけられずに、なにをグズグズしているのだと。


東洋の人間もそう考えるのが自然だろうか。

明治の文明開化を経て、日本人は西洋の技術や思想を旺盛に取り入れた。

いまの日本でもそれが続いている。

明治維新後、敗戦を経て、なおさらそういう考え方に染まっていったのだ。


日本を始め、東洋の人間はそんな問いを発していただろうか。

そんな問いを自らに発するのは、西洋の一神教をベースにする思想に知らず知らずのうちに洗脳されたのではないか。

多神教では異なる。

ヒンドゥー教にあるのは、強い神、弱い神、賢い神、だらしない神はあっても、全ての神の上にオールマイティーな神は存在しない。

仏教では神はいるのかいないのか、問題にさえしていない。

儒教に至れば、神など語っていないではないか。


そういう中にあっては、人生の目的、生きる意味など問題にならないのではないか。


では何が問題になるのか。

それは、人生を振り返って一点の恥じもない生き方、後悔の無い生き方を問題にするのであろう。

江戸時代の日本人は、武士たちばかりでなく市民たちも自らを律する生き方をしていた。


西洋と東洋。

ここに大きな違いがあることに気付く。

同じ価値ある人生を送るのに、片や目的を持って、片や自らを律することによって達成しようとしているのである。


いまの若い人に人生の目的を聞いても、明確に答えられる人は稀だろう。

それでいいのである。


・・・・・・・・山を登りながら考えた。