・・・・・・・っということで、吉田松陰は何を教えたか?
というより、何を生徒の頭の中に吹き込んだかです。
言い方は変ですが、「原理主義」を教え込んだのです。
原理主義とは宗教用語です。
これは彼の生きた時代とシンクロしなければ理解できません。
ペリーの開国要求への対応で、幕府の無能ぶりが曝け出されたのです。
尤も、ペリーじゃなくとも、遅かれ早かれ鎖国政策は行き詰まっていたでしょうが。
開国となると、外国との貿易です。
貿易となると、「日本の再定義」が必要になってきます。
すると、徳川幕府は日本を代表するのではなく、数多くの大名の一つに過ぎないことを否応なしに思い知ることになります。
将軍って、そもそも天皇に任命された征夷大将軍だったんじゃないの?
吉田松陰は尊皇を原理主義の基本に据えたのです。
幕府にとってこれは、自らの立場を否定する極めて危険な思想です。
実のところ、松陰自身は倒幕までの過激なことは考えていなかったようです。
云わば公武合体に近かったようです。
しかし、同時に攘夷も主張した。
原理主義というものは、過激にならざるを得ない宿命があるようです。
原理を貫くには暴力を伴うという考え方です。
あくまでもその暴力の矛先は外国に向けられているはずです。
だけれどもこの思想に感化された者たちは、暴力があくまで手段であることを忘れるものです。
ここで変なねじれ現象が起きます。
暴力は幕府に向かったのです。
もちろん幕府も弾圧に暴力を使いました。
このことにより、松陰をテロリストと定義する人もいるのです。
吉田松陰も変な行動をとります。
こともあろうに、暴力を使うべき相手のペリー艦隊に密航を企てたのです。
ここんところが、吉田松陰という不可解な人間を理解する鍵があります。
・・・つづく。