吉田松陰とは(その2) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、吉田松陰の教育法を論じます。

彼の教育スタンスは、生徒の個性に合った教育ということでしょう。

そのためには人間に対する鋭い観察眼を持っていなければなりません。

実際に彼の生徒に対する評価が残っています。

その観察眼はどこから身に付けたのでしょう?

ヒントは、彼が幼少のときから神童と言われていたことです。

彼の家系は、山鹿流と呼ばれる兵学を代々教えていました。

まだ幼年のうちに才能を見いだされ、藩主に講義したり、藩の学校で教師を勤めたりしていました。

すなわち、子供のときから大人の世界で揉まれていたのです。

そういう子供たちは、大人が思うほど幼稚には育ちません。

芸能界で子役っているでしょ?

彼らの人間観察力はスゴイですよ。

どう振る舞えば大人に気に入られるか、身に付けないと生き残れないからです。

吉田松陰のヒューマンウォッチングのスキルは、そのときに磨かれたと確信しています。(^_^ゞ


次に、いくら観察眼が優れていても、引き出しが多くなければ教育成果は上がりません。

彼が天才であったと同時に、学問好きであったのは間違いありません。

ぼくは学問好きになるためには、好奇心が不可欠だと思っています。

吉田松陰という人物は、好奇心の塊だったと思っています。

彼が、九州や東北を旅行したときの日記が残っているのですが、あらゆることに好奇の目を向けています。

誰にでも好奇心があります。

生徒の性格を見抜き、好奇心を上手く誘導していく技術を彼は持っていたに違いありません。

それさえ誘導できれば、あとは時々修正さえしてやれば生徒は自主的に学ぶものです。

そういう意味で、吉田松陰は優れた心理学者でもあったのです。

松下村塾の塾生は50人ほどいたとされています。

しかし、彼自身は、こういう生徒の自主性を重んじる教育とは正反対の、スパルタ式教育を受けていたことは実に興味深いことです。

スパルタ式教育を施したのは、彼の叔父に当たる玉木文之進でした。

大酒飲みのオヤジの息子は、オヤジのようにはなりにくいのに似てますね。
p(^ω^)


・・・つづく。