生と死の定義 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、NHKで興味深い番組をやっていました。

福岡伸一という生物学者の講義でしたが、ぼくは彼を知りませんでした。

超人気者らしいのですが、人気の理由が納得できました。

着眼点や、発想がユニークなんですが、それ以上に伝え方が上手いのです。

真面目そうな風貌なんですが、飄々としていて、ときたま冗談を挟んだり、なかなかの曲者と見ました。(^ω^)


講演には沢山の考えるヒントが満ちていましたが、その中で特に興味を引いたのが、「生と死の定義」でした。

死の基準として「脳死」が知られています。

脳死=死という考えですが、脳が反応しなくなった後でも、他の臓器や細胞はまだ生きています。

そこで、「臓器移植」という考えが出てきて、実際にそれは実施されています。

・・・・・っと、そこまでは誰も考えます。

ところが、生はいつから始まるかという問題を考える人は希です。

受精したとき?

脳が脳としての機能を発揮し始めたとき?

それっていつ?

この問題を考え始めたら、堕胎問題の壁に突き当たります。

出産前の胎児は人間と考えていいのか?

生の始まりの前は死と考えていいのか?

当たり前だ、生きた人間だと考えるのが普通でしょう。

ならば、堕胎は殺人ではないか。

こう考えると、堕胎と臓器移植は同じ問題を抱えることが分かります。

どこかで生と死の線を引くことになるからです。

福岡教授は問いかけます。

生まれる前に臓器を培養して、生体に移植することだって可能ではないかと・・・。

俄然生物学は、哲学の問題に踏み込むことになるのです。

面白いですね。