・・・・・・・っということで、「吉田松陰はテロリストを育てたのか」という物騒な問いを考えるために、世田谷にある松蔭神社に行ってきました。(^^)/
ちんちん電車の世田谷線で、三軒茶屋から三つ目の駅です。
松蔭神社商店街を北にしばらく歩くと、鳥居が見えてきます。
七五三の季節ですね。
松蔭の像は二つあり、最近の作がこちら。↓
なぜか左手を帯に突っ込んでいます。
作者の意気込みは分かりますが、ちょっと空回り。^m^
こちらが古いほう。↓
こちらのほうが自然ですね。
左手の代わりに、脇差しかな?テレビのリモコンかな?
なぜか今日は女の子ばかりがお参りしていました。
女の子だから三歳と七歳? あれ?五歳と七歳???
ウチの子もこんな時があったのかな??
今日気がついたのですが、社の右に「松下村塾」が建っていました。
萩にあるもののレプリカだそうです。
元々国士舘大学の敷地にあったものを2年前に移設したそうです。
土日しか公開しないそうです。(ケチ)
さてさて、今日のメインの吉田松陰の墓参りです。↓
なんで東京に?・・・・あっ、そうか、彼は江戸で処刑されたんですね。
五つの墓石の真ん中です。
その他の埋葬者は看板のとおり。↓
(ヒマだったら拡大して読んでください。拡大しても読めませんね。(^^ゞ)
写真には撮りませんでしたが、左右に徳川家から贈られた灯篭と、右手前に水盤があります。
明治になってから、処刑してゴメンネという意味ですね。
墓の前でしゃがみこんで、しばらく彼に問いかけます。
そう、「貴方はテロリストを養成したのか」と。
勤皇の志士とテロリストの違いは何でしょう。
奇しくも松蔭の周りを囲むものは、時の政府を倒そうと活動し、志半ばで処刑されたり、自害した者たちばかりです。
最初、隣に埋葬されているのは彼の奥さんとの先入観があったのですが、そういや彼は独身のまま30歳という若さで死んだんですよね。
聞くところによると、女性を知らずに一生を終えたとのこと。
彼が塾で教えたのはたった2年ちょっとの短い期間でした。
なのに、多くの若者を倒幕に駆り立て、生き延びた生徒たちは明治政府の要人になった。
有名どころでは:
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎など 。
最初の四人は30歳になる前に戦死、病死、その他多くの若者が命を落としています。
伊藤博文と山県有朋はしぶとく生きて総理大臣を務めています。
ちなみに、木戸孝允(桂小五郎)は門下生ではなかったようですね。
短い間にこれだけの若者を感化できたその威力はすさまじいものがあります。
まさに、カリスマですね。
しかし、貴方は多くの若者を死に追いやった。
・・・・・・・・
しばらくのあいだ問いかけ続けたのですが、当然のことながら返事はありません。
伊藤博文を柱の影から拳銃で暗殺した 安重根 は、まさしくテロリストそのものでしょう。
なのに、韓国では彼の立派な記念館が建っていて、前の広場には金色に輝く銅像が建っている。
韓国では彼は英雄なのだ。
江戸幕府からすれば、門下生たちは松蔭に洗脳されたテロリスト集団なのだ。
その違いは何なのだ。
安重根 も国のためが動機だっただろう。
しかし、片や現存の政府を倒してより良いと信じる政府を作ろうと組織的に行動していた。
片や、外国の高官一人を狙った単独犯だ。
明らかに その思想と行動のレベルに違いがある。
だが、要人を狙った暗殺であることには違いないではないか。
返事は無い。
ただ、歴史のモーメンタムを変えるのは、余ほど裏打ちされた強い信念と、多くの人々のパワーが必要だと思う。
何が正しいのか。
「キミ、いい歳をして何を青いこと言っているのかね、少なくとも正々堂々と行動することだよ」
・・・・と、声が聞こえたような気がした。
(^^ゞ











