金ヶ崎城 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、相変わらず写真が順不同で申し訳ありません。

永平寺のあとは若狭湾に向かいました。

若狭湾から京都への物流に興味があったからです。

まずは敦賀の金ヶ崎城跡へ。

金ヶ崎城というと、金ヶ崎の退き口が有名ですね。

織田信長が朝倉軍と戦っているうち、退路を浅井軍に絶たれそうになって、命からがら逃げたという戦です。

秀吉がしんがりを見事に勤め、男を上げたことで有名ですね。

↓しかし、尊良(たかよし)親王の墓があるのです。

尊良親王を調べたら、後醍醐天皇の皇子であの新田義貞と共に足利尊氏と戦い、京都を落ち延びてこの地で命を落としたとあります。


城跡の入り口にある神社。↓恋の宮と称され、そちら方面のご利益があるそうです。


色んな所に金ヶ崎城跡の標識がありますが、暑くて山の上には登りたくなかったのでこの辺でお茶を濁します。↓

見込地とあるのは、別に墓所があるそうなのです。


↓全体図です。


神社の隣にあるここが城趾としましょう。



敦賀の街。↓

こじんまりした港町です。


敦賀は既にブログに書きました。(7月20日)