・・・・・・・っということで、自分とは何かをまだ考えています。
いま考えているのは、生まれたときから自分だったか?です。(^ω^)f(^_^;
こうやっていま自分で考えながらブログを書いています。
考えられるのは言葉があるからです。
言葉がなければ考えられません。
じゃあ、言葉を獲得する前の自分は考えていなかったかということです。
言葉はなくとも心はあったと思うんです。
犬という言葉は知らなくとも犬を目で認識していた。
親からワンワンと教えられ、これはワンワンと呼ぶことを知った。
のちにワンワンではなく犬と呼ぶことが正しいと知ることになった。
しかし、言葉を知る以前に犬を知っていたはずです。
知っていたのは心を持ったところの自分だったはずです。
その自分とは何者なのでしょう。
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人間の脳はコンピュータと似ています。
記憶するメモリーと演算するCPUというハードで構成されています。
しかし、これだけでは動きません。
電源を入れて(基本)ソフトウェアをメモリーに書き込まなければ動きません。
コンピュータも人間と同じように言葉(ちょっと違うが)を覚え学習していきます。
しかし、人間のように自主的には動きません。
なぜなら心がないからです。
心というプログラミングを人間が書き込んでいないからです。
なぜ書き込まないのでしょう?
それは人間が心というものを知らないからです。
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ちょっと進んで、SFのように人間が知らない間に、コンピュータが先に心とはなにかを発見して心を持つかも知れません。
すると、自主的に動くようになります。
でも、その心は人間のように多様性を持った心ではないはずです。
多様性を持たない心を心と言えるでしょうか?
多様性を持った心とは、すなわち自分なのです。
・・・結局分からん。(^^ゞ