・・・・・・・っということで、専門分野の人が聞いたら幼稚な話だろうけれど、狩猟民族と農耕民族の違いは本質的なところでずいぶん違うもんだと思いますね。
その違いは肉を食うと、植物を食うでしょ?
対象となる食物をよぉ~く考えると(考える必要もないか)、一方は早く動き、もう一方は殆ど動かない。
「追いかける」と「待つ」の違いですよね。
生きる基本となる食物の違いで人間の生き方、考え方、性質にずいぶんな違いが出るはず。
「追いかける人生」と「待つ人生」の違いか。
安定的に食料を得なきゃならないから、どちらの人生も計画的じゃなきゃならない。
しかし、同じ計画でも動くと待つでは極端に違うはず。
狩猟民族は獲物の行動パターンの違いを学び、それを元に相手の動きを予想するから「能動的」な考え方でなければならない。
一方、農耕民族は植物固有の成長についての深い知識とそれに合わせた緻密な管理が必要である一方、気候変動には敵わないから「受動的」な考えにならざるを得ない。
狩猟集団と農耕集団ではそれを率いるリーダーの資質も違うし、集団の行動原理も違ってアタリマエ。
狩猟民族には境界(国境)は無意味であるが、農耕民族にはそれが不可欠。
現代人はステーキも食うし、サラダも食べる雑食性の生活に何の疑問を持たない。
だから、自分が狩猟民族か農耕民族かなんて単純な分類が出来るはずが無いし、意味も無い。
だが、それぞれの民族が辿ってきた長い歴史を振り返ると、そのバックボーンとなる基本的な考え方が影響を受けていないはずが無い。
現代社会は欧米がリードしているという意見に反対する人は少ないだろう。
その欧米人の中で幅を利かせているのがアングロ・サクソン系である。
アングロ・サクソンはゲルマン系(ドイツ系)の民族である。
彼らの原型は狩猟民族であるとぼくは言いたいのである。
専門家の人たちからは雑すぎる展開と言われるのは承知の上だが、現代を支配しているのは彼らの価値観であるようにぼくには思えて仕方が無い。
情緒よりも理屈。
アナログよりデジタル。
共存より単独支配。
多神教より一神教。
しきたりより法律。
和よりも競争。
弱肉強食。
米よりステーキ・・・・・・・・