酒田の豪商but新幹線が来ない | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、3泊目は酒田。

ホテルの目の前にあるのは、庄内米歴史博物館です。

昔の米蔵を再現していますが、実際に現在も米の貯蔵庫として利用されています。



一番右の建物が資料館で、入場料300円も取られます。

展示スペースはごく狭く、料金に見合いません。


資料館にジオラマがあるケースが多いですが、とても役に立ちますよ。

米蔵から小舟で直接入出荷していたことが分かりますね。

川は右に流れていて、その先には最上川河口に位置する酒田港があります。

そここから北前船や弁才船で西回り航路で大阪や江戸に出荷されていたんですね。


↓弁才船です。


庄内平野は米所ですが、最上川上流の新庄盆地からも米が坂田に集まってきていました。

社会科の勉強になりますねぇ~。(^o^)/

小学生がぼくと一緒だったらいい勉強になるのにね。

仕方ないことですが、学校教育は時間的な限界がありますね。

↓左に米俵の重さを実感できるウェイトがあり、奥が30kg、手前が60kgです。

腰が弱いぼくは30kgさえ持ち上げられませんでした。(>_<)

ちなみに当時の女性が一度に背負った記録が米俵5俵。

合計240kgになりますね。(60×3+30×2)

ウェイトリフティングの記録が148kg(75k級日本女子)ですから、あり得ない重さですよね。(◎-◎;)


このように酒田は米の一大集積地として栄えました。

当然の結果として、数多くの豪商といわれる人たちが誕生しました。

その代表的なのが本間家で、有名な人物が三代目当主本間光丘(みつおか)です。

彼は儲けるばかりではなく、低利の貸し付けや、公共事業にも投資して酒田の発展に貢献したそうです。

本間家旧本邸↓



↓酒田市立資料館。

入館料たったの100円。

古くて小さい施設ですが、内容は濃いのでオススメです。

人の良いじい様が色々と教えてくれます。

何しろ入館者少ないですから。(^ω^)


昭和51年の酒田大火の記録もあります。

戊辰戦争の時に、幕府の戦艦2隻が応援にやって来たものの、嵐にあって座礁した記録もあります。

じい様に農業が盛んで市の財政は潤っているんではないかと聞いたら、酒田市は商人の町で、もうかつての面影はないと言うのです。

そういえば、駅前は寂れた雰囲気でしたね。

自嘲ぎみに、酒田には新幹線も来ないし、高速道路はぶつ切れですもんねと嘆息していました。

こういう話は地元の人の口から聞くのが一番ですね。

↓酒田駅前。


本間旧本邸に行って来たんですよと言ったら、

「本間さまには及びもせぬが、せめてなりたや殿さまに」と歌われるほどの豪商だったそうです。

殿様より力を持っていたのですね。f(^_^;