・・・・・・・っということで、書道。
ハングル文字は筆で書かれますので、当然朝鮮にも書道が存在するはずです。(調べてないけど多分間違いないでしょう。)
アラビア文字にも書道があって、モスクに入ればその文化レベルの高さに驚嘆するはずです。
共通するのは文字に精神性を感じることでしょう。
アルファベットにも昔からカリグラフィーというものがありますが、精神性よりデザイン性に対するこだわりのほうが強いように思われます。
この辺の違いは面白いですね。
ぼくが書く字は小学生レベル以下で、文字に精神性が表れるとすれば、ぼくほど低次元の人間はいないという良い証明になりますね。(^^ゞ
そんなぼくでも、書道を見れば感動します。
下手ウマという表現は適切じゃないけれど、そこまで至る精神の過程が字体に感じられるからでしょう。
・・・・・・・
これまで何度も書いてきたように、ぼくは心と身体はコンピュータとは違い、一体であると考えています。
ですから、肉体の死とともに心も死ぬというものです。
だけれども、文字という形で「心」は残せるものだと気付いたのです。
こうやって、ぼくはパソコンのキーを叩きながら思ったことを変換しています。
読者数は少ないけれど、この文を読んだ人にはぼくの心は多少たりとも伝わるはずです。
多分、すぐに消え去る言葉より伝わる確率は高いはずです。
言霊ってありますよね。
言葉に霊が宿っているってぇいうアレです。
言葉に宿るくらいだから文字にだって宿るはずです。
ぼくが死んだあとも、このブログは残るはずです。(アメブロが潰れるまではね。)
ホントーはぼくの孫が生まれて、お爺ちゃんってどんな人と興味を持って残されたブログを読んでくれたら、ぼくの心は墓の中からでも孫に伝わるはずです。(孫が出来そうもないけどね。)
そんなロマンディックな話じゃなくても、遺産相続の遺言を残せば、当人が死んでも文字は効力を持つってことですよね。
すると、文字に霊が宿ると考えるのはぜんぜん不自然じゃないですよね。
・・・・・・・つづく。