・・・・・・・っということで、陳腐な題名の映画。
ジェイク・ギレンホール が主演だったので観ました。
妻が死んでも全く悲しさを感じられない男、まさしく彼の演技力を念頭に作ったシナリオと思わされる。
実に意欲的なテーマに取り組んでいて、物語の流れに破綻は感じられません。
さまざまな余韻を残すいい映画でした。
・・・・・っと評したいのですが、残念な構成になっています。
それは、描かなければならないところをあっさりと、分かったことをしつこく描いている、その配分が失敗しているのです。
伝えたいことは分かる。
さまざまな比喩(メタファー)がちりばめられていて、映像一つ一つに意味がある。
電気製品を片っ端から分解してしまったり、しまいには素敵な自宅までも破壊してしまう。
倒れた木や、害虫が付くと枯れてしまう木とか・・・・
破壊と再生を描きたいのは分かりますって。
しかし、日本猿が温泉に浸かって毛づくろい(グルーミング)するシーンは、気持ちは分かるけれど取って付けた感がウザく感じられる。
そのしつこいくらいの比喩の連続に対して、本筋を理解させるための描き方が不親切。
このヘンテコな題名にしても、冷蔵庫のメモとサンバイザーのメモで分かる仕掛けなんだけれど、最初見ただけでは意味が分からず、巻き戻してみてようやく分かった。
破壊の後の再生部分も、破壊部分が執拗だったのに比べそっけなさ過ぎ。
何故、カルーセルで義父や義母が笑顔満開で乗っているのか?
それは、彼が再生したからでしょう。
コレも巻き戻して停止さなきゃ読めないのだけれど、カルーセルの名前が死んだ妻の名になっている。
そうか、彼女の基金がここに使われたのかとようやく分かる。(まあ、流れからでも分かりますがね。)
何故、知り合った彼女の連れ子が最後にボコボコにされているのか。
それは、パーティーで知り合った(黒人の?)男性と一緒に公園?に行って、そこでゲイを嫌う連中に取り囲まれて殴られただからなのだが、それを示す映像がほんの数秒流れるのみ。
原題は【Demolition:破壊】なのだが、再生(Reborn)を描く部分が少なすぎる。
そう、この映画はバランス配分がまずいのである。
せっかくの力作なのにオシイ。