キリスト教を理解する試み(その7) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、祈りには三種類あると思います。

1)神を褒め讃えるために祈る。

2)神に救いを求めるために祈る。

3)不平や不満を聞いてもらうために祈る。


1)と3)に対して、神は答える義務はありません。

信者からの一方的な祈りだからです。

しかし、2)については答える義務を神は負うはずです。

だけれども、結果はどれも同じです。

神は沈黙を守ります。

でも、そのことは最初から知りつつ祈っているんでしょ?

2)で合格を祈ったとき、上手い具合に合格できた。

これは、神が祈りを聞き届けてくれたと解釈します。

問題は、不合格になった場合です。

神を信じている立場からすると、不合格は神の意志が働いているはずだと考えます。

そして、不合格にしたのはあなたの努力が足りなかったことを神は教えたのだと自らを納得させます。

タイタニックが沈むとき乗客が祈ったのも同じです。

生還できた人たちは祈りが通じ、亡くなった人たちは祈りが通じなかったのです。

・・・・・・・

これは何を意味するでしょう?

どの場合も、神は沈黙を守ります。

祈りに報いた人に対しても沈黙で答え、祈りを無視した人に対しても沈黙で答えたのです。

なんだ、結局神は答えているではないか・・・となります。

ぼくはそうは考えません。

沈黙というのは答えるという行為ではないからです。

黙秘権を行使しますというのは、問いに答えていることです。

それさえも答えない沈黙は、答えとはいえないはずです。

・・・・・・・

では、祈りに対する答えはどうなるか。

答えは自分自身で出すしかないということです。

自分で解釈するしかないということです。

これこそが神の御心??

・・・ホント?

自ら祈り、自ら苦悩し、自ら解釈し、自らを納得させること?

これこそが宗教の意味?効能?

・・・ホント?


無神論者のぼくには分からないことだらけです。


・・・・・・


次はそろそろ最終回にします。