・・・・・・・っということで、明治維新のときに活躍した中心人物たちが皆若かったことに驚きますね。
江戸時代という封建制度にどっぷり漬かった時代に育った若年層が、どうしてアレだけのことを成し遂げることが出来たのでしょう?
これは誰もが思いつくテーマであって、専門家によって様々な分析がなされてきたに違いありません。
若いといっても、当時は早くから元服を済ませ、今の若者と単純に比べてはならないとか。
武士という支配階級によって上から成された革命だったからだとか。
そもそも教育がしっかりしていて、各自の教養が高かったとか。
ざっと思いつくだけでもこれくらいは出てきます。
しかし、個人的にはなにかピンくる説明が見つかりません。
ぼくが感じるのは各自の真剣度が高いことです。
「真剣度」なんてちゃんとした言葉じゃないでしょうが、いまの時代の日本人より、真剣にものを考える程度がはるかに高かったように思えてなりません。
いまでも、もっと真剣に考えろヨとか、真剣に取り組めヨとか日常生活で使われますが、何かその真剣さの中に「いい加減さ」が混じっているように感じられます。
もちろん、真剣に生きている人も取り組んでいる人も沢山いることは確かです。
残念なことに、真剣に行動する様が、何か格好悪いというふうに茶化されてしまう時代でもあります。
明治維新の若き志士たちの真剣さは驚異的だと感じませんか?
いまより「純粋」だったのでしょうか?
そうかも知れませんね。
ならば、その純粋な真剣さはどこから来るものだろうと考えました。
たどり着いた答えは「帯刀」です。
・・・・・・・
もちろん帯刀とは刀を腰に二本差しすることです。
ぼくは、刀を常時腰に差して日常生活するイメージがイマイチ描けません。
拳銃をホルスターに差しての生活ならイメージが作れます。
拳銃でなくとも、中世の騎士のように長剣を腰に差す生活もなんとなく描くことができます。
同じ武器じゃないかと言われるかも知れませんが、日本刀が放つ雰囲気は独特なものがあります。
当時の日本を訪れた外国人は、その不気味さを報告しています。
日本人は恐ろしく切れる細身の剣を腰に差していると。
戦国時代と違って、江戸時代は戦争が殆どなかったので、武器という実用性よりも装飾性に移行していきましたが、それでもその切れ味は恐ろしいものでした。
平和な時代にあっも、抜群の切れ味の刀を携帯する行為が、その所有者に与える精神的影響は大きいと考えてよいでしょう。
いや、絶対に精神を律する影響は大だったと断定しちゃいます。
大げさな言い方をしてしまいますが、帯刀こそが日本人を「野蛮人」であることから救ったと。
真剣と言う言葉に「剣」という文字が含まれているのは偶然ではないでしょう。
・・・・・・・
明治時代の志士の写真を見るにつけ、そういう思いが強くなってきました。


