・・・・・・・っということで、価値観について。
少なくとも、キリスト教、仏教、イスラム教は来世があることを前提としています。
現世で徳を積めば天国に行けるぞ。
来世のために現世で徳を積め。
・・・・・と説きます。
ぼくは無神論者なので、来世を信じていません。
しかし、宗教の「効能」は認める立場なので、来世を説くことによって、現世で道徳的に振舞うことを教えていると考えます。
あるいは、今は不幸かもしれないが、来世では幸福になれるよ。だから、我慢するんだよと考えます。
・・・・・・・
宗教を効能と考える立場の人間にとって、次の段階が理解できません。
来世での幸福のためには、裕福な者は(不幸な者を助けるために)全財産を寄付してもいいと考えるべきだ。
(だって、有限である現世の幸福と、無限の来世の幸福を比べたら、現世の財産を投げ出すのは何の苦もないだろう。)
キリスト教の聖書には、実際にそう書いています。
この考えにぼくは抵抗あります。
もちろん、キリスト教信者でさえもこの言葉に従う人は稀です。
キリスト自身も、この困難さは知った上で説いているのです。
そう説くことによって信仰の本気度を確かめているのです。(・・・とぼくは解釈します。)
でも、実際に寄付する人も少なからずいるのです。
要するに価値観の問題なのです。
では、そういうことが出来る人は、本当に来世のことを信じているのでしょうか。
信じる信じないに係わらず、来世で幸せになれるからとか、得をするからという基準では考えていないのではないでしょうか。
財産を持つことによる幸せより、財産を与えることによって困っている人を助けることによる幸福感のほうが価値があると考えるからでしょう。
平たく言えば、物質的な幸福より精神的幸福のほうに価値を置く価値観なのです。
最近、ぼくはこういう考えが出来る人を羨ましいと思うようになりました。
尤も、ぼくは永遠にできないでしょうが。(^^ゞ
・・・・・・・
以上は宗教の良い面の効能ですが、キリスト教会が「免罪符」を売りつけた過去もあるので気をつけねばなりません。
とかく宗教というものは、変なものを売りつける傾向があるのは現在も同じです。
この傾向がさらに進むと、危険な事態になります。
信仰を試すために、あなたの持っている一番大切なものを差し出せと説くことです。
古くはアステカ文明が有名ですね。
現在では、一番大事なもの即ち自分の命を差し出せと要求する宗教が幅を利かせているのが問題になっています。
もちろん、何という宗教か判りますね。(ーー;)