2017年心の旅(その15) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、今回の4泊5日の旅も終わり。

今は名古屋で乗り換えるところ。

総括すると、大変ツキがあった旅といえるだろう。

なにしろ5日間ずっと晴天に恵まれた。

紀伊半島というと雨ばかり降っているというイメージ。

しかも暖かかった。

今年の運勢はいいぞっ!!・・・と信じよう。(^0^)/

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紀伊半島を本格的に旅行したのは今回が初めて。

案外多くの人が伊勢までは行くけど、その先まで足を伸ばす人は多くないのでは。

旅行するなら俄然クルマをオススメする。

自動車専用道路が建設中で、次第に便利になっている。

関西からは、白浜、さらに潮岬まで今は伸びているので行きやすい。

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さて、紀伊半島は多分日本で一番大きな半島ではなかろうか?

にもかかわらず、その大半は森林で覆われている。

これも多分だが、人口密度も少ないだろう。

実際に行けば分かるのだが、広さに関わらず農耕面積が極端に少ない。

道路や線路は海岸線ぎりぎりを走っている。

全体が山がちで海岸まで迫っていて、平坦な面積が少ないからだろう。

こういう場所に住み着くには、林業か漁業しかないはずである。

あとミカンか。

クマさんに教えてもらって気づいたのだが、「熊野水軍」というのが源平合戦で活躍したのだ。

流石クマさん熊に詳しい。

これも行けば分かるが、紀伊半島は港に適した小さな入江がたくさんある。

水軍とは海賊。

隠れる港に不自由しないということだ。

しかも、造船に必要な木材はふんだんにある。

こりゃー、海賊をするっきゃないと考えるのは実に道理に叶っているのである。

その熊野水軍が村上水軍と並んで瀬戸内海を荒らし回ったのだ。

調べてみると、半島の東側が源氏、西側が平家側だったそう。

壇之浦では本来平家側に付くはずの西側熊野水軍はどういう訳か源氏側に付いてしまった。

海賊の頭領がニワトリを使って(闘鶏)占ったからだという。

酉年最初の話しとしてはよく出来ているが、時代の流れを読む優れた頭領だったのだろう。

因みにこの頭領の息子の一人があの弁慶だったという話し。

ひょっとして、義経が弁慶を使って父を説得させたのかも。

田辺駅に弁慶の銅像があった理由が分かったという次第。

紀伊半島というと山林ばかりに目が行くけど、(実際ガイドブックには水軍の話しは僅か、)そういう歴史を知ると俄然面白くなる。

いま、港で魚の干物を作っている漁師のオッサンには、壇之浦で勝敗を分けた海賊の血が流れているかも知れないのである。

以上、今回の旅行記はオシマイ。

だ、である調で書いたのは旅行記に格調を持たせる意図だったが、格調のない人間が書くと、格調もヘッタクレもないことがよく分かりました。


(^^ゞ