・・・・・・・っということで、昔サラリーマンのときに考えたこと。
会社ってどこにあるのかってこと。
そんなのアタリマエじゃないか、毎日働いている職場が会社じゃないかって答えが返ってくるでしょう。
しかし、そこは場所であって建物という入れ物に過ぎません。
商法に従って登記している内容が会社だと答える人がいるかもしれません。
しかし、それは紙切れでありそこからは利益も損害も生まれません。
ならば会社を構成する社員が会社そのものだとの答えが正しいかもしれません。
しかし、会社員は採用や解雇によって流動的であり、社長さえも交代します。
ぼくの結論は、会社は頭の中にあるです。
○○株式会社という頭の中での認識そのものが会社であると。
認識である以上、その実態は漠然としていて流動的で、各自によって定義が異なるものです。
しかし、そういう認識でしかない会社でも、奉仕すれば給料がもらえる。
良い会社、伸びる会社、活気のある会社、生産性の高い会社、給料がいい会社、時代を先取りする会社、優れた商品を生産する会社など、会社には様々な性質を持った会社が存在します。
そういう性質は経営者の能力、会社を構成する社員の能力、そして予測不可能な運で決定されるものです。
不思議なものですね。
会社って生き物じゃないのに、生き物のような存在です。(リヴァイアサン?)
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会社と社員は単なる雇用契約の関係にすぎないのに、会社のために尽くす。
残業も厭わない。
よく考えれば漠然とした会社なのに、ある社員は働くことに生き甲斐を見つけ、ある社員は自殺するまで追い詰められる。
そこには損得を越えた何かがある。
経営者は会社をよく家族にたとえます。
家族だから、そこには損得を超えた奉仕の精神があるはずだと説く。
しかし、そんなことは全くの嘘っぱちに過ぎません。
なぜなら、定年になれば有無を言わさず契約を打ち切るからです。
それは家族ではない証拠でしょう。
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まあ、そこまではサラリーマンのときに考えました。
いまは国家も会社と同じ存在ではないと考えています。
アラブの人々は国家を作るのが下手くそだなぁ~と常々感じていて、それはどうしてだろうと疑問を持っていました。
もし、国家も会社も同じようなものなら、アラブ人も会社を作るのが苦手だということになります。
世界中を見渡して、アラブ人経営の世界的な企業ってありますか?
欧米の後塵を拝しているアラブ社会の焦りを見るにつけ、その原因がイスラム教にあると考えるのは間違いじゃないでしょうか。
それに気付かない限り、IS問題、テロ問題は永遠に解決できないんじゃないでしょうか。