・・・・・・・っということで、オヤジもそろそろ終わりが近くなって、ベッドサイドに付き添っていますナウ。
呼びかけにも無反応になってしまいました。
家族を呼ぶタイミングがサッパリ判らないのは仕方ないこと。
今晩か、はたまた1週間後か、オヤジの体力如何にかかっています。
そんな暗い話なんか読みたくないのは分かっていますが、一応、自分のための備忘録です。
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さて、オヤジの喉仏をときどき観察する以外することは何もないので、時間つぶしのために頭に浮かんだまま垂れ流します。
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【神は存在するのか】
キリスト教信者が迷惑しているのが、「神がいるのか」との質問じゃないでしょうか。
もちろん信者の皆さんは、居ると固く信じているはずです。
ところが、「ホントーに居るならその証拠を見せてみろ」と迫られます。
全く迷惑な話ですが、困った質問であることには違いありません。
そもそも、宗教は神が居ることが大前提ですから、それに疑いを持つなら何も始まりません。
信じてアタリマエなのですから、信者は疑問を持つこと自体信じられないのです。
そういうシンプルな常識さえ持たない者が、「神を見せてくれるなら俺は信者になってもいい」なんてホザくのです。
「そんな無神経なアホなヤツには信者になってもらわなくったってイイやい!」と言いたくなるでしょう。
そういう奴らは放って置けばいいのです。
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しかし、本気で存在を証明しようとしたら、それは至難の業です。
神の存在を証明するものとはいったい何でしょう?
神のお姿を実際に見せる?
見ただけじゃ納得しないだろうから、触らせる?
それでもそれが神だとどうやって納得すればいいのでしょう?
神は人間を超越しているから、人間が出来ないことを実行して見せればいいのでしょうか?
奇跡を見せればいいのか?
しかし、奇跡とマジックはどうやって見分ければいいのか?
目しいが見えるようになった、いざりが歩けるようになった?
じつは、お互いが打ち合わせどおりの演技をしているんじゃないか?
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一方、証拠ならいくらでもあるじゃないかと主張する人もいます。
たとえば、この複雑な生命の仕組みは、いくら科学的に解明しても、神の仕業だとしか考えられない領域がいくらでもあるではないか。
この自然だって、地球だって、宇宙だって、完璧な調和の元に運行されてるではないか。
それでも神は存在しないというなら、その存在しないという証拠を見せろと逆切れされるかも知れません。
無心論者という奴に限って、困ったときは神頼みするじゃないか。
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このように、神の存在を立証しようとする行為は無駄なのです。
それなのに、聖書にはキリストの行った様々な奇跡を書き記しています。
自然現象で起きた偶然さえも、神のみ業だと解釈しようとします。
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それに対し、後発のイスラム教はずっと洗練されています。
奇跡などには触れていません。(唯一ムハンマドが空間をワープしたということだけです。)
神の顔どころか、姿さえも描かせません。
ムハンマドは神の子供ではありません。
あくまでも「言葉」、それも「神の言葉」で伝えるだけです。
それは、神がいるなら証明してみろという(不毛な)議論に巻き込まれないように先手を打っているからなのです。
・・・・つづく。