・・・・・・っということで、関が原の戦い。
真田丸でも話題になっていますね。
東京から関西へ向かうときは必ずこの駅を通ります。
通過するたびに、車窓から周囲の山並みを見て、感慨に耽ります。
何で関が原の戦いか?
・・・という話。
昔の戦いで戦場となる条件はある程度の平地でなければなりません。
数万という両軍が対戦するのですから、それなりの広さが必要だからです。
いまさらながら日本の地図を眺めてみます。
平地の場所を知るには、衛星写真が適しています。
関が原では東軍と西軍が対峙したのですから、ぶつかる可能性が高いのは列島が狭くなった場所でしょう。
ご覧の通り、腰のくびれのように狭まっています。(黄色)
戦場となる平地は、ピンク色で示した部分です。
昔の人は、ここが要地だと知っていました。
だから、この周辺に沢山の城が築かれたのです。
古戦場もこの周辺に集中しています。
東西を分けるのは山脈で青色で示しています。(鈴鹿山脈)
当初、石田光成は濃尾平野の西端の大垣城に構えていました。
周囲の城が徳川軍に落とされると、西に転進(後退?)しました。
鈴鹿山脈で唯一平地なのが関が原なのです。
そこに至るには上の矢印で示しました。
関が原で戦が行われたのは偶然かも知れませんが、必然でもあったのです。
天下分け目とは地形からも適した命名なのですね。
予想に反して一日で決戦がついたのも、この地形が大きく影響したのでしょう。

