・・・・・・っということで、以前読んだ本で、人類が採集と狩猟によって自然界から得られる食料だけで生活できるのは約1千万人だと知りました。(以前書きましたが)
別の言葉で言えば、地球が養える人類は東京の人口より少ないということです。
しかし、人間は農耕や牧畜によって自ら食料を生産することにより、いまや100億人に達しようとしています。
人間は賢いですから、これからもそれだけのカロリーがまかなえるよう、知恵を働かせることでしょう。
動物は違います。
自然が供給してくれるものだけで生きています。
自然界の食料が減れば、当然個体数も減ります。
でも人間だけは、食べるだけでは生きてはいけないのです。
ホントーは生きていけるだけの食料があれば幸せなはずですが、それでは満足できないのが人間なのです。
満足できないどころか、食糧を買うお金を稼ぐために働かなければなりません。
すると、人間は生きるために働かなければならないということになります。
本来なら、食糧を生産するために働けばよかったのに、いまではそれ以外のために働くほうが大きなウェイトを占めています。
消費するのは食料だけではなく、様々なものを消費します。
消費するための消費なんておかしなことが起きています。
産業革命以前はそれほど多くはモノを必要としていませんでした。
例えば衣類、必要な数は限られているはずです。
なのに、カミサンのように毎週衣類を買っている。
必要ないもの、すぐに飽きてしまうもの、箪笥の肥やしにするものであふれかえっています。
擦り切れるまで着る人はいないでしょう。
気付かないうちに、人類は巨大な消費マシーンと化しているのです。
消費し続けないと、人類は生存できなくなってしまったのです。
そういった過剰な消費のために、人類は増え続けます。
増えていった人類を養うために、また新しい消費形態を考え出します。
消費するものはモノでなくてもいいのです。
サービスだったり、娯楽だったり、旅行だったり、情報だったり・・・・。
いつの間にか消費しないと落ち着かないように改造されてしまっているのです。
・・・・・・
何も、何百年も歴史を遡って考えることはありません。
ほんの半世紀、あるいは四半世紀前の自分の生活を思い出すだけでいいのです。
すると、いま自分がアタリマエに消費しているものがホントーに必要なのか見えてくるのではないでしょうか。
それが出来るのは、生まれたときから消費世界だった今の若い人にはもう無理なんです。
ぼくらの世代しかできないことなのです。