・・・・・・っということで、真田丸でいま注目の「沼田城」へ行きました。
北條があれほど欲しがったのはどうしてか?自分の目で確かめたかったからです。
入口のすぐ左に立派な案内所があります。
城主だった真田信行(大泉洋ね)と妻の小松姫の石像。(出来立てです。)
本丸はこの祠の後ろにありました。
本丸跡を後ろから。
それらしき遺跡は残っていませんので、五層もあったとされる天守閣をイメージするのは難しいでしょう。
こちらが北です。↓
山を超えれば越後です。(上杉ね)
こちら方面が南です。↓
櫓などは復元されていなくて、この鐘楼がシンボル的な役目を果しています。
↓このグラウンド(東南側)が昔のお堀じゃないかとぼくは想像したのだけれど、それを示す資料はありませんでした。
そうでないと、こちら側の防衛は全く出来ませんので。
沼田平八郎の首が乗せられたという岩。↓
彼はその名が示すとおり、この城の城主に返り咲こうとしていましたが真田昌幸(草刈正雄ね)に謀殺されました。
なんか怨念が伝わるとイヤなので、岩を触るのはやめておきました。(^^ゞ
なんか出来の悪い天狗の像。
案内所は立派ですが、城を復元することに対して、沼田市民はあまり熱心ではないようです。
まさか、真田丸で人気が出るとは予想していなかったのでしょう。^m^
さて、この城の立地ですが、例によって航空写真で見てみます。
沼田城は関東平野の北端に位置していて、ここを北に抜ければ上杉の支配する越後です。
ここから西に向かえば、甲斐の国(信州)に抜けることが出来ます。
もちろん上杉亡き後は真田が拠点を置く上田城に繋がります。
信州と越後に睨みを利かせる戦略的要所だと誰でも分かります。
北条氏政(高嶋政伸ね)が欲しがったのが分かります。
沼田城址公園に行くと、なんでここが理想的な立地なのかピンと来ません。
平坦な場所だと最初は感じるからです。
しかし公園の航空写真を見ると・・・
上で青で示した部分は切り立った崖になっているのです。
それも相当の高さがあります。
左上にちょっと見えるのは利根川です。
しかし、南東側は平坦な地形なのです。
そこでぼくは現在グラウンドになっている場所に堀があったのじゃないかと想像したのです。
かなりの数の年配の人たちが見学に来ていましたが、皆なにか物足りないような表情をしていました。
この城の復元図とか、模型とか、せめて想像図くらいは展示して欲しいと誰でも思うのではないでしょうか。
ひょっとすると、残っている史料がないのかも知れませんね。