・・・・・・っということで、イラクは一時期イギリスの植民地でした。
最後のイスラム帝国であるオスマン帝国の弱体化に伴って、多くのイスラム国がイギリス、フランス、イタリアなどの植民地となりました。
第二次世界大戦後はそれぞれ独立を果たしましたが、多くのイスラム国家は王制を採用しました。
中には社会主義を標榜する独裁者により革命が起き、独裁国家となったことはご存知のとおりです。
イラクもその例外ではなく、イギリスの植民地後、傀儡の君主制国家となり、共産党によるクーデターによって一応共和国となるものの、その実態は独裁国家でした。
ぼくが滞在していた頃は、バース党政権でハッサン・バクルが大統領で、副大統領がご存知サダム・フセインでした。
ぼくが赴任した1977年当時に感じたのは、イギリスの影響が強く残っているなぁ~でした。
役所における書類手続きなどは、いかにもイギリス的で、形式ばっていて非効率でした。
エリートと呼ばれる人たちの殆どは英語を自在に操り、イギリスのアクセントでした。
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さて、ぼくが実際に体験したことの話ですが、少しでも権力を持った者がスッゴく威張っていることでした。
先ず、工事の検査はイラク人の検査官が行うのですが、技術的なことを全く知らないのに、あらゆることで理不尽なイチャモンを付けてくるんです。
論理的に説明しても、言い出したら絶対に自分の主張を曲げません。
はっきり言って、彼らは日本人を見下していました。
オマエらは(石油の利権に繋がる)カネ欲しさで出稼ぎに来ているんだろうという態度でした。
ぼくは大学を出たばかりの若造でしたので、彼らと喧嘩したこと喧嘩したこと。
ある検査官はぼくに向かって「オマエは奴隷なんだ」と言い放ったこともあります。
細かく書くと、思い出して腹が立ってくるので止めますが、他の日本人は彼らの言いなりでした。
検査官に限らず、ちょっとした学歴を持った事務関係の人間でも、不必要なくらい威張っていて尊大な態度を取っていました。
それとは反対に、実際に作業に携わるイラク人労働者たちは、不必要に卑屈な態度を取っていました。
ぼくみたいな若造に対しても「マスター」と呼びかけるのです。
彼らの間では同国人であるにも関わらず、支配層と被支配層との間にはもの凄いギャップが存在していました。
ぼくはこのギャップに戸惑い、何故なのだろうと考えたものです。
理由の一つは、イギリス人の植民地支配を経験したこと。
イギリス人は狡猾で、エリート層をイギリスに留学させ、洗脳後に要所に戻して、彼らの都合の良いように支配する手法を採りました。
したがって、同国人に対してさえそのような尊大な態度を取るのだと理解したのです。
次に考えたのは、これは社会主義の影響ではないかということです。
イラクの隣国のイランは当時、アメリカの傀儡政権(パーレビ王朝)でした。
イランを訪問した時感じたのは、極度の貧富の差でした。
イラクと比べて近代化しているように見えるのですが、実に居心地の悪い国でした。
国境を越えてイラクに戻ったときホッとしたものでした。
なぜなら、イラクは均一に貧しいからでした。
均一に貧しいというのは社会主義の良い面で、一応貧富の差が生じないことになっているのです。
ですが、悪い面は役人が自己保身に走り、腐敗する宿命を持っていることです。
権力を持った者が、威張りくさるのは社会主義の典型であると理解したのです。
それから40年近くたった今、もうひとつの理由を考えるようになりました。
実は、コレこそが本当の理由ではないかと思うのです。
「イスラム社会は労働を低く見る」ということです。
良かれ悪しかれイスラム教は遊牧民の宗教です。
前にも触れたとおり、遊牧民である限り一生懸命働いても生産性はそれに応じて上がりません。
農耕民族は逆です。
コレもよく言われることですが、「イスラム教は都市の宗教である」ことです。
イスラム教が帝国を築く段階で、砂漠から直接都市(バグダッド、カイロなど)に入り、農耕を経験していないのです。
その結果、アラブ人は支配者として振舞うことしか知る機会がなかったのです。
平たく言えば、イスラムは額に汗して肉体労働するものを馬鹿にする結果につながるのです。
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これは、別途「イスラム教を理解する試み」シリーズで触れることにします。