・・・・・・っということで、イラクに着任した当日、事務所の前で羊が一匹屠られました。
ぼくらが到着したお祝いかと当初思ったのですが、どうもラマダン関連の宗教的行事だったようです。
一匹の黒い羊が一本の杭に繋がれていました。
まあ、やせ細った貧相な羊でしたが。
ナイフを持った男が近付くと、後ずさりしました。
羊は状況を把握したようで、そのおびえた目が印象的でした。
頚動脈を切られたようでしたが、血がバッと噴出すようなことはありませんでした。
すぐに横たわり動かなくなりました。
屠殺人は実に手際がよく、皮を剥いでいきました。
足の切り傷から口で空気を入れて肉と皮を上手く分離していた記憶があるのですが、もう40年近く前の話ですから定かではありません。
皮を剥がされた羊は後ろ足を縛られ、軒先に逆さまに吊り下げられました。
一緒に見学していた先任者が「ここから先は見ないほうがいいよ」と言ったのを覚えています。
腹を割かれると同時に内臓がドサッと下に落ちました。
日本に住んでいる限りは、このような堵殺現場を見る機会は先ずないので、実にショッキングな光景でした。
それより驚いたのは、堵殺人が両手に血を塗りたくって、ドアとか床とか壁に血の手形をペタペタと付けはじめたことです。(清めの意味があるんでしょうか?)
彼の顔はニヤニヤ笑っていました。
1時間も経ったでしょうか、ライスが盛られた大きな金属の皿の上に件の羊が丸焼きになって提供されました。
ご丁寧に頭が乗っていました。
前任者がこの脳ミソがご馳走なんだよと言って、箸でつつきましたが、ぼくはその変わり果てた顔を見てとても食べる気が起きませんでした。
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ハイウェイを走っていると、道脇に馬とかラクダの死骸をよく見かけました。
放置しておくと実に嫌な死臭が発生するので、ショベルカーで穴を彫って埋めるのですが、放置されたまま白骨化していくものもあります。
流石に人間の死体は見たことがありませんでしたが、砂漠という世界は死が身近なんだなぁと感じました。
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砂漠といってもイラクのそれは「土漠」で、サラサラとした砂地を思い描いてはいけません。
しかし、日中50度C以上もアタリマエなのですから、まあ、死の世界といっていいでしょう。
そんな中を移動しながら生活している遊牧民にとって、死というのは隣り合わせなんだなぁと実感できました。
明確なそしてバランスのよい四季がある日本とは正反対の気候です。
そこで昔から生活しているアラブ人の価値観とか、ものの考え方が日本人と全く違っていてアタリマエでしょう。
イスラム社会は太陰暦を使用していますので、1年は11日少ない354日です。
ですから毎年行われるラマダーンも年を経る毎に真夏だったり真冬だったりするのです。(イラクでも真冬ではストーブが必要な期間が1ヶ月ほどあります。)
遊牧民にとって四季は関係ありません。
羊が生む子供も決まっていますので(年に1頭だったかな?)一生懸命働いたからといって生産性が向上するわけではありません。
ところが、農耕民族にとって四季を的確に把握すること以上に大切なことはありません。
ぼくは当時、アラブ人は日本人と最も遠い感性を持っている人種だと嘆いたものです。
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ところが、そんな地域で生まれたイスラム教が世界を席巻しています。
インドネシアがイスラム国であることが、気候は関係ないことを証明しています。
イスラム教侮るべからず・・・・っというのが、本日の教訓でした。