タイトルの「ヨーロッパ文明の正体」は歴史に興味のある人なら必ず持つテーマだから、名前負けしないように書いたんだろうな?という暗黙のプレッシャーが筆者にかかっている。
残念ながら、その期待には応えられていない。
筆者の力量不足というより、歴史を記述するにはあまりにも「情緒的」なのである。
筆者は「棲み分け」がそのカギだと主張する。
この棲み分けという言葉を何度も何度も繰り返すので、殆どの読者が途中でウンザリしてしまったことだろう。
この言葉が総てを解く鍵だと主張すればするほど説得力を失ってしまっている。
辛抱して読み終えても、納得できないままである。
だからこの本はダメと結論付ける人はたぶん多いだろう。
だが、ぼくはこういう情熱を持って書く人は嫌いではない。
あえて自分の理論を振りかざして大きなテーマに挑んだ、その心意気を評価したいのである。
「棲み分け」じゃなく、「合理化」と置き換えてもいい箇所は沢山あるはずだ。
ぼくがヨーロッパ人の特性として挙げる「多機能」より「単一機能」を喜ぶとしても、たぶん筆者は頷いてくれるだろう。
筆者の主張する「棲み分け」論が正しいと仮定しても、結局のところ、はぜヨーロッパなのか?には答えられていない。
人間の性格を特徴付けるものは、やはりDNAレベルまで遡る必要がある。
モンゴル力士が日本力士より強いのは、そのDNAを形ち作ってきた長い歴史があるからだ。
すると、ヨーロッパ人は何故棲み分けができたのか、合理的なのかを考えたとき、普通に「アングロサクソン」が出てこなければならないはずである。
アングロサクソンを辿ればゲルマン人が出てくる。
ゲルマン人といえばローマ文明に憧れ強く影響を受けて、現在のような立派な(?)ドイツ人に進化した。
現在は理科系社会だと筆者は嘆くけれど、ゲルマン的社会だといってもいいはずだ。
ローマ帝国は明らかにヨーロッパを支配し、国家を運営するための多くの遺産を残したはずなのに、筆者はローマ帝国の果たした役割には全く関心を向けていない。
もっと辿ればローマ人が憧れていたギリシャ文明に辿り着くだろう。
ヨーロッパ人のバックボーンを成す19世紀に芽生えた民主主義の原型はギリシャ文明にその種子を見出せるはずだ。
ヨーロッパ文明の特質を探るなら、そこまで論じなければ片手落ちどころか、そもそも話しにならない。
読者はそこを期待して読み始めるはずだ。
それ抜きに棲み分けこそヨーロッパの特質だと説得されても、全く頷けないのである。
