教訓:カーナビの言葉を無条件に信じるな・・・ですね。
さて松代城です。
別名海津城。
武田信玄によって築かれました。
その目的は?
川中島の戦いで有名なこの地を確保するためです。
立派な門構えですね。↓
↓門をくぐります。
いよいよ城内です。
いやがうえにも期待が高まりますね。
アレレ、何にもない。(@_@。
見事に何もない空き地です。
隅櫓跡に登って、入ってきた門の方向を見たところ。↓
以前は千曲川はもう少し近くを流れていて、守りにも攻めにも向いた戦術的要地ですね。
もう少し左側に千曲川が流れていて、その先は川中島の古戦場です。
武田信玄と上杉謙信はこの川中島で12年にわたり5度も合戦しました。
何故?・・・・でしょう?
これについては次に書きます。
・・・・・・
この松代城は武田氏が滅びたあと、持ち主がいろいろと変わりましたが、江戸時代にあの真田信之が城主になりました。
信之というとあの真田幸村のお兄さんですね。
父と次男と異なり、長男の信之は勝ち組サイドとして生き延びたのですね。
徳川の家臣の娘を妻に迎えたからです。
徳川側に付かなかったら、真田家の血筋は絶えていたことでしょう。
これは血筋を残すためにわざと敵味方に別れたのか、偶然だったのか、ぼくはわざとだったと思います。
余談ですが、真田幸村とその長男は大阪夏の陣で華々しく戦死しますが、幸村の次男坊は生き残って仙台藩に引き取られます。
宮城県を旅行しているとき、白石城を訪問したとき 、ガイドさんが真田家の話をしてくれました。
そのときぼくは何で真田が仙台藩なの???でしたが、ようやく理解できました。
仙台ではまだ真田家の家系は続いているそうです。
信之(大泉洋ね)は上田城主を務めたあと、この松代城に移ってきます。
↓これは信之の屋敷跡。
入場はしませんでした。
このあと、いよいよ川中島古戦場に向かいます。