松代城(海津城)ダヨ | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、恐怖の峠から引き返し、上信越自動車を通ってアッという間に着きました。

教訓:カーナビの言葉を無条件に信じるな・・・ですね。

さて松代城です。

別名海津城。

武田信玄によって築かれました。

その目的は?

川中島の戦いで有名なこの地を確保するためです。

立派な門構えですね。↓



↓門をくぐります。

いよいよ城内です。

いやがうえにも期待が高まりますね。



アレレ、何にもない。(@_@。

見事に何もない空き地です。





隅櫓跡に登って、入ってきた門の方向を見たところ。↓



以前は千曲川はもう少し近くを流れていて、守りにも攻めにも向いた戦術的要地ですね。

もう少し左側に千曲川が流れていて、その先は川中島の古戦場です。







武田信玄と上杉謙信はこの川中島で12年にわたり5度も合戦しました。

何故?・・・・でしょう?

これについては次に書きます。

・・・・・・

この松代城は武田氏が滅びたあと、持ち主がいろいろと変わりましたが、江戸時代にあの真田信之が城主になりました。

信之というとあの真田幸村のお兄さんですね。

父と次男と異なり、長男の信之は勝ち組サイドとして生き延びたのですね。

徳川の家臣の娘を妻に迎えたからです。

徳川側に付かなかったら、真田家の血筋は絶えていたことでしょう。

これは血筋を残すためにわざと敵味方に別れたのか、偶然だったのか、ぼくはわざとだったと思います。

余談ですが、真田幸村とその長男は大阪夏の陣で華々しく戦死しますが、幸村の次男坊は生き残って仙台藩に引き取られます。

宮城県を旅行しているとき、白石城を訪問したとき 、ガイドさんが真田家の話をしてくれました。

そのときぼくは何で真田が仙台藩なの???でしたが、ようやく理解できました。

仙台ではまだ真田家の家系は続いているそうです。

信之(大泉洋ね)は上田城主を務めたあと、この松代城に移ってきます。

↓これは信之の屋敷跡。



入場はしませんでした。

このあと、いよいよ川中島古戦場に向かいます。