イスラム教とお酒(その1) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、イスラム教は堅苦しい。

あれはダメ、これはダメということが多過ぎる。

ナンでか?

人間はそもそも弱い生き物である。

放っておいたら悪いことや安易なことに走ってしまう。

そう、人間は堕落するものだというのが基本なのである。

もっと言えば、「性悪説」がベースなのである。

そこに宗教の付け込む隙があるのです。(言い方が悪いけれど・・・)

・・・・・・

日本は「性善説」である。

この差はぼくらが想像する以上に大きい。

性善説の日本人が性悪説のキリスト教、イスラム教を理解することは難しい。

何で愛を説くキリスト教が凶暴な行為を繰り返すのか?

何で他宗教に寛容なイスラム教がテロを繰り返すのか?

日本人には理解できない。

・・・・・・

宗教の最も重要な効能について一つ挙げるとすれば、それは「道徳」だろう。

簡単に言えば「ダメなものはダメ」である。

「何で人を殺しちゃいけないの?」「何でイジメはダメなの?」等の子供の質問がその一例である。

理屈で論破できれば、殺人もイジメもOKになってしまうのである。

もし、この質問に対して、宗教的に答えるとすれば、

それは、「神様がイカンと言っておる」・・・でオシマイである。

日本じゃこの手は使えない。

神様の代わりに、明文化されていない各自の道徳心に訴える理屈が必要なのである。

・・・・・・

これこそがポイントなのである。

神との「契約」ですぜ。

なんてドライな考えなんだろう・・・でしょ?

人間の根本が性悪なら、契約で縛るしかないじゃないかという理屈です。

アメリカ大統領がその就任時に、あるいは証人が裁判で証言する前に聖書に手を置いて誓うのは、神との契約を履行するという決意表明なのです。

逆に言えば、契約である以上、バレなきゃイイと考える人が出てくるのである。

日本は、性善説なのだから契約は必要ないだろうである。

悪いことをすれば神様はお見通しのはずだである。

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ここから先、酔っ払っていますので続くとします。<m(__)m>

何を書きたいかというと、イスラム教徒が狂信的になりがちなのは、「お酒」を禁じているからだと言いたいだけです。

(^^ゞ