・・・・・・っということで、イスラム教は堅苦しい。
あれはダメ、これはダメということが多過ぎる。
ナンでか?
人間はそもそも弱い生き物である。
放っておいたら悪いことや安易なことに走ってしまう。
そう、人間は堕落するものだというのが基本なのである。
もっと言えば、「性悪説」がベースなのである。
そこに宗教の付け込む隙があるのです。(言い方が悪いけれど・・・)
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日本は「性善説」である。
この差はぼくらが想像する以上に大きい。
性善説の日本人が性悪説のキリスト教、イスラム教を理解することは難しい。
何で愛を説くキリスト教が凶暴な行為を繰り返すのか?
何で他宗教に寛容なイスラム教がテロを繰り返すのか?
日本人には理解できない。
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宗教の最も重要な効能について一つ挙げるとすれば、それは「道徳」だろう。
簡単に言えば「ダメなものはダメ」である。
「何で人を殺しちゃいけないの?」「何でイジメはダメなの?」等の子供の質問がその一例である。
理屈で論破できれば、殺人もイジメもOKになってしまうのである。
もし、この質問に対して、宗教的に答えるとすれば、
それは、「神様がイカンと言っておる」・・・でオシマイである。
日本じゃこの手は使えない。
神様の代わりに、明文化されていない各自の道徳心に訴える理屈が必要なのである。
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これこそがポイントなのである。
神との「契約」ですぜ。
なんてドライな考えなんだろう・・・でしょ?
人間の根本が性悪なら、契約で縛るしかないじゃないかという理屈です。
アメリカ大統領がその就任時に、あるいは証人が裁判で証言する前に聖書に手を置いて誓うのは、神との契約を履行するという決意表明なのです。
逆に言えば、契約である以上、バレなきゃイイと考える人が出てくるのである。
日本は、性善説なのだから契約は必要ないだろうである。
悪いことをすれば神様はお見通しのはずだである。
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ここから先、酔っ払っていますので続くとします。<m(__)m>
何を書きたいかというと、イスラム教徒が狂信的になりがちなのは、「お酒」を禁じているからだと言いたいだけです。
(^^ゞ