・・・・・・っということで、紀州犬の話。
最近は動物のような生活をしていますので、犬の気持ちがだんだん分かるようになってきましたよ。
ウチの近くにも、日陰の駐車場に短い鎖で繋がれっぱなしの薄汚れた犬が居ましたね。
なんていう犬種か分かりませんが、少なくとも雑種ではない中型犬で茶色い色をしていました。
耳が垂れて顔の中央は白かったと思います。
腹の出たオヤジがクルマを動かす時は、それこそ嬉しさに全身を震わせて構ってもらおうとしていました。
散歩する姿はついぞ見かけたことがありませんでしたが、フンは近くになかったので連れては行ってもらっていたようです。
でも、日の当たらない場所にずっと伏せの姿のまま、通行人を眺めていました。
冬は特に惨めな感じでしたね。
そんな状態ですから、根性も曲がってしまったのでしょう、通行人が少しでも近付こうものなら物凄い剣幕で吼えてかかっていました。
まあ、オヤジにとってそれこそが彼を飼う唯一の理由だったのでしょうから、犬の生活環境をよくするなんて思いもよらなかったのでしょう。
でも、ぼくから見れば犬と飼い主のギブ・アンド・テイクのバランスは著しく欠いていたと思いますよ。
そう、ギブがあまりにも少な過ぎた。
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いつの間にか彼の姿は見えなくなってしまいました。
唯一良かったことといえば、オヤジが次の犬を飼わなかったことです。
彼が生きた意味はナンだったのでしょうね。
最低限の餌を貰えて死ぬまで生きたことでしょうかね。
犬って、人間にとって最小限のギブで最大限のテイクを与えてくれる存在じゃないでしょうか。
番犬として役立つだけじゃなく、ちょっとの愛でも出来る限りの愛で応えてくれます。
どんなに飼い主の心を癒してくれることか、犬ってそういう才能を持った生き物なのです。
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紀州犬にとって、最悪の飼い主に当たったことが最大の不幸でしたね。
8発の銃弾を受けながら息絶えるまでの間、彼は何が起こったか理解できなかったでしょうね。
クソまみれの狭いベランダと人間の心を持っていないジジイが彼の世界の全てだったのですから。
愛を受けることも、愛を与えることも知らずに死んでいったのです。