・・・・・・っということで、歴史歴史っていうけれど、歴史って誰のものだろう?
何となく歴史は国家が作るもの、だから歴史って国家のものだという常識が通用していないだろうか。
日本の歴史、アメリカの歴史、中国の歴史・・・・・・。
じゃあ、国家って何なのだ?・・・という疑問。
少なくとも歴史抜きには国家は語られない。
国家は歴史を必要とする。
だが、歴史は国家を必要とするのだろうか?
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かつての帝国?王国?独裁国家?封建国家?などは強大な力を持つ個人(or一族)のモノだった。
じゃあ、その個人(or一族)の歴史なのか?
人類は進化し、共和国が主流を占めることにより、歴史は選挙権を持つ国民のモノとなったのだろうか?
なんか違う。
両方とも違う。
歴史は国家のものじゃないんじゃないか?
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歴史は人間の行った行為(出来事)の記録である。
だが、単にその記録を羅列したものではない。
当然のことながら、そこには取捨選択が行われる。
その取捨選択権を持つのは国家なのだろうか?
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近代になって、社会主義国、民主主義国とイデオロギーによる国家分類になった。
歴史はその立つ所のイデオロギーの立場で語られるようになった。
すると、歴史は公平ではない偏った歴史とならざるを得ない。
中国やアメリカが自分の都合の良いように解釈して、「正しい歴史認識」なんて戯言を垂れているのだ。
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ぼくの結論は、「歴史は個人のものだ」である。
国家なんかのものじゃない。
だから、歴史は個人個人の解釈で、バラバラでいいのだ。
興味を持った歴史に疑問を持ち、調べ、考え、自分なりの教訓を得ることこそが歴史の醍醐味だ。
統一した歴史観なんてクソくらえなのである。