【我思う、故に我あり】
これは哲学だから難しい。
難しいからぼくには分からない。
たぶん、「全てを疑う」という姿勢が根本なのだろう。
疑って疑って、その疑う自分自身の存在も疑う。
すると、疑っている自分の存在は真理である・・・・ってことかな?
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だったら、【我思わず、故に我なし】もまた真理なのか?
・・・ってことは、この毎日続く暑さの中で思考停止している人は存在していないってことになるのかな?
ぼく自身も含め、そういう人間がいまの時代ウジャウジャいるような気がする。
存在しているはずなのに、存在していない・・・ってな人間。
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一方、【下手(or馬鹿)の考え休むに似たり】という言葉もあるナ。
すると、考える(思う)だけではダメなようである。
我思うも、ちゃんとしたことを考えていなきゃならんことになる。
すると、この世の中、ちゃんとしたことを考えている人間はさらに少なくなる。
ねぇ、鳩山さん。
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もう少し進めてみると、動物は考えているのか?という疑問にぶつかる。
庭の木陰でハアハアしながら、お腹を見せて寝っころがっている犬はナァ~んにも考えていない。
ならば、その犬は存在しないことになる。
なのに、「こらっ!ポチ!」と呼びかけると、ポチは起き上がってシッポを振る。
存在しないはずのポチという自我が反応したのに、ポチは存在しないと言い切れるのか?
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哲学って、考えれば考えるほど分からなくなってくる。
【我思うと我思う、故に我ありと我思う】
のほうがより正確だと言ったアンブローズ・ビアス(悪魔の辞典)のほうがぼくにはよく理解できるんですけどね。