・・・・・・っということで、このあいだ観た映画【リスボンに誘われて】の中で出てきた気になるフレーズ。
「野原は、その緑のなかよりも、その描写のなかでのほうがいっそう緑だ」
・・・ペソア(1888~1935)ポルトガルの国民的詩人・作家。
んんん~~~ん、気になる。
さらに映画の主人公である教授が「この意味が本当に分る人は少ない。」と言う。
すると、奥さんに「じゃあアナタはその意味が分る数少ない選ばれた人なのね。」と皮肉られる。
・・・ってなセリフもあって、余計に気になってしまった。
ぼくが常々このブログでも書いているように、「言葉」による理解のことを言っているのだろうか?
実際の草原の緑、空の青さ、湖の碧さは脳の中で「色」という概念で捉えられ、それは実際の自然と同じであるはずがない。
子供が空を絵の具で描くとき、躊躇なく青で塗りつぶすことを考えれば分るだろう。
だが、そんな簡単な意味ではない、深い何かを表現しているのだろうか?
・・・と、考える。
ぼくがその少数派に属していたいという下等なプライドが顔を出す。
ペソアは同様の言葉を他でも語っているらしい。
「澄みわたり動かない日の空は本物で、深い青ほどは明るくない青い色をしているのを知っている。」
「現実の風景を眺めるのと変わらないほど鮮明にわたしは夢において風景を見る。」
「真の風景とは、われわれ自らが創造する風景だ。」
・・・・こういわれると、ぼくの理解能力に不安を覚えてしまう。
ならば、自然の色も含め、それを認知する人間がいないと何の意味を成さないということなのだろうか?
ペソアは別にこのような言葉も述べている。
「夢想家こそが行動家なのだ」
・・・っということは、思索する人間への賛美なのか?
詩人というものは、実に罪作りな人種でありますな。