遷都クン | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、古代史を見ていると何度も遷都が行われていることに気付きます。

大化の改新以降、平安京に定まるまで150年間になんと12回も行われているんですよ。(@_@)

1)飛鳥板蓋宮(643-645)    :舒明     
2)難波長柄豊崎宮(645-655) :皇極、孝徳
3)飛鳥宮(655-667)     :斉明
4)近江大津宮(667-672)    :天智
5)飛鳥浄御原宮(672-694)   :弘文、天武
6)藤原京(694-710) :持統、文武、元明天皇
7)平城京(710-740) :元明、元正、聖武天皇
8)恭仁京(740-744) :聖武天皇
9)難波京(744-744) :聖武天皇
10)平城京(745-794) :聖武天皇、孝謙、淳仁、称徳、光仁、桓武天皇
11)長岡京(784-794) :桓武天皇
12)平安京(794-1868):桓武~明治天皇
13)東京(1868-現在) :明治天皇~

不思議に思いません?


(日本史ウォーキングHPより)

遷都の理由として、それぞれ次のような説明がされています。

2)血で穢れた飛鳥板蓋宮を離れるため
3)孝徳天皇の崩御で蘇我氏の怨霊に対して禊は済んだから
4)白村江で負けたので海外からの脅威にさらされたから
5)唐の制度にならい
6)手狭になった
7)手狭になった
8)藤原広嗣の乱の影響
9)河川に近く交通の便が良い
10)土砂の堆積
11)インフラの不便さ
12)貴族や寺院の集まる奈良から離れたかった


1)から3)は迷信によるものです。

陰陽師の役割が思いの他重要だったことがわかりますね。

4)は防衛上の問題で、白村江の敗戦によりパニックに陥った様子がよく分かりますね。

6)から11)は、明らかに迷信より実用性重視の考えになってきたことが分かります。

そして、官僚機構が巨大化したことが分かります。

いまの首都のように一般住民が住む町ではなく、当時の京は役人が中心の町だったと理解すべきでしょう。

日本にとって初めての律令制が役人をどんどん増やしていったため、泥縄式に遷都を繰り返したことが分かり面白いですね。

そして、最後の12)の理由に注目すべきでしょう。

仏教を政治機構の中心に置いたため、僧侶の発言力が強くなっていったのです。

平安京に移る前の奈良時代は、律令制度の崩壊とともに、荘園がとって代わって行く時代と規定していいでしょう。

聖徳太子が描いた中央集権国家が、現実問題に曝されていく中で、どんどんと変容せざるを得なかったことになります。

古代の人々が味わった国家を生む苦しみが伝わってくるようです。

んん~~ん、歴史って結局流れの中で理解しないとダメですね。

今回は、そんな歴史の流れを、遷都をキーワードにして考えてみました。

・・・・・・

つぎは、いよいよ天皇制を書くかナァ~

・・・つづく。