・・・・・・っということで、弥生時代の中期(2世紀~3世紀)頃にあった邪馬台国とその支配者である卑弥呼については謎であるが故に想像する楽しさがあります。
それまでは倭国大乱といって、100ほどの小国が争っていたそうです。(後漢書)
それが30ほどに淘汰され、それを治めていたのが卑弥呼ということになっています。
ならば、邪馬台国というのは「連合国」と考えるべきですよね。
様々な主張をするそれだけの数の国々をまとめたのだから、卑弥呼という女性は相当のパワーがあったはずですよね。
普通に考えれば、いちばん力(武力)を持った一国が勝ち残り、支配するのが自然なはず。
卑弥呼はアマゾネスのような戦う女性だったのでしょうか?
そうではなく、未来を占うことのできるシャーマンだったそうです。
そうすると、卑弥呼自体は武力を背景にした実力者ではなかったのです。
魏志倭人伝によると、「鬼道」によって衆を惑わすと書いてあります。
ぼくはここに疑問を持つのです。
シャーマンが国を治めた?
ホンマかいな?
為政者が占い師(シャーマン)に自分の判断を占ってもらうことはあっても、占い師が国を治めるだろうか?
ぼくの考えは、小国同士争っているよりも、連合国としてまとまったほうが得だと考えた。
お頭は皆から文句の出ない中立の者がいいんじゃないか。
力を持つ者だと争いが起きるので、女性の方がいいんじゃないか。
そう、卑弥呼はお飾り、妥協の産物だったと考えるのです。
では、争いをしているより倭国という連合国として一つにまとまったほうが得だとする理由があったに違いないのです。
それは他国との関係上、言ってみれば外圧によるものだとぼくは推測するのです。
外圧と書いてしまいましたが、侵略を受けるという意味以外にも、外交、あるいは貿易のためと言った方がいいかも知れません。
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弥生時代と聞くと、縄文文化(石器時代?)にチョイと毛が生えていたくらいの野蛮人を連想しがちですが、ぼくはそう思いません。
現代人と変わらない経済感覚、政治感覚そして外交感覚を持っていたと信じるのです。
当時の日本を取り巻く国々で重要だったのは、中国(後漢⇒三国志の時代:呉、 蜀、魏)と朝鮮(三国時代:百済、新羅、高句麗)でした。
ご存知のとおり、後漢からは金印( 漢委奴國王) 、魏からは 親魏倭王の仮の金印を贈られています。
このことは何を意味するか?
中国と邪馬台国は活発に外交を展開していた証拠でしょう。
中国(三国志の時代)と、朝鮮の三国時代という不安定な大陸側の事情の中に邪馬台国は否応なしに組み入れられていたはずです。
当時の日本は、内乱どころではなかったんじゃないでしょうか。
結束しなきゃヤバイ状況だったのではないでしょうか。
・・・・・・つづく。