・・・・・・っということで、邪馬台国の時代は日本側に文章が残っていないので、詳しいことが分かりません。
分からない代わりに、想像をいくらでも膨らませるので、とても面白い時代なのです。
ですから、ぼくの書くことは出鱈目とはいいませんが、あくまで自分が納得した範囲で推測したものです。
さて、この時代で不思議なのが、漢や魏、晋に対して奴隷を提供したり、貢物を贈ったり、その返礼として銅鏡をもらったり称号をもらったり、ぼくらが想像する以上に活発に外交をしていたんですね。
外交相手は中国ですね。
もちろん航海の危険が伴っていたけれど、危険を冒してまで外交する必要があったと考えるべきでしょう。
外交するには、こちらが対等とまでは言わないけれど、国としての体裁を整えていなければならないはずです。
国内の小国同士が争うより、卑弥呼という武力は持っていないけれど、誰にも無害な巫女を首長とするまとまった国家を作ったほうが得だったのです。
では、何が得だったのでしょうか。
それは朝鮮半島経由の技術の輸入、中でも鉄だったとぼくは考えます。
戦いをする上で、鉄の武器を持っていたほうが圧倒的に有利なのです。
青銅なんて目じゃない。
以前、白村江の戦いを書きましたが、大和政権は朝鮮半島の南端に任那(加羅)という領土を持っていたのです。
4世紀後半のことですヨ。
如何に当時の日本は外交に力を入れていたかが分かります。
白村江の戦いが663年。
戦いの相手は、新羅ですが実質は唐です。
我が倭軍は42,000人。同盟国の百済は5,000人。
惨敗を喫するのですが、これだけの兵力を海外派兵するくらい当時の日本は軍事力を持っていたことに驚くのです。
・・・・・・
何を言いたいかというと、武士が誕生したとされる9世紀よりずっと以前に、日本は強力な軍事力を持っていたことです。
その大和政権が持っていた軍事力の実態とはなんだったのか。
武士とどう違うのか。
武士と貴族の関係は?
つづく。