芥川シリーズ | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・っということで、芥川龍之介シリーズも残すところ6作となりました。

芥川龍之介の小説は晩年になるにしたがい、ストーリー性がなくなってくると感じて、チョイと調べてみました。

起承転結があるストーリーよりも、ないほうが芸術的には上だと芥川龍之介は主張したようで、そのため大激論になったようです。

下の2作品もストーリーはまったくありません。

【玄鶴山房】

死期が近づいた家の主、同じく重い病にかかったその妻。

同居する娘とその養子である夫。

その息子。

住み込みの手伝い。

付き添いの看護婦。

そして、家主の愛人とその息子。

当然ながらその息子の父親は家主。

これらの登場人物だけで、ドロドロとした人間関係が展開すると予想できるでしょう。

家主が死んで、その葬式に至るまで各自の心理描写をしている。

ストーリーなんかない。



【蜃気楼】

これは更にストーリー性がなくなる。

東京から友人が尋ねてきて、近くの友人と3人で海岸に蜃気楼を見にくだけの話である。

その夜、妻と近くの友人と3人で近所を散歩してから帰宅するのであるが、妻がちょっとした駄洒落をいう。

それでオシマイである。

ただ、巧妙な自然描写を挟むことによって、主人公のなんとも言われぬ不安感が伝わって来るのである。

・・・・・・

確かに現実の世界は物語のように、始めと終わりで区切られているわけではない。

一見、何の脈絡もなくダラダラと続いているだけだ。

そんな人生を生きているその時時で、人間は明確な説明の付かない不安や、怒りや悲しみなどに直面するだけである。

確かにストーリーがあったほうが読む側は面白い。

そんな小説は次元が低いと誰が決め付けられるだろうか。

だが、ぼくらが現実の世界で生きている中で生じるさまざまな感情を、上手く言葉ですくいとって表現してくれるのも、また小説家の役目ではないだろうか。