・・・・・・っということで、NHK BSスペシャルでポル・ポト時代のカンボジアを扱っていた。
なんで、あんなひ弱な感じのポル・ポトが200万人ともいわれる大虐殺をやってのけたのかを考える番組である。
司会の岡田准一の切り込みがイマイチだけれど、いまの時点でポル・ポトを取り上げる意義は深い。
それは、川崎の少年殺人事件とポル・ポトは共通すると考えるからである。
明らかに悪だと分かっていながら、だれもそれを止められなかったという共通点である。
川崎の事件では、少年を取り巻く限られた狭い単位での出来事である。
一方、ポル・ポトは国家単位である。
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ぼくが知っている限りでも、同じ状況で多数の人が不条理に殺された出来事を挙げることが出来る。
ナチスによるユダヤ抹殺計画。
日本赤軍によるリンチ事件。
オーム事件。
北九州監禁殺人事件や尼崎事件。
北朝鮮での恐怖による支配。
そして、現在進行形のイスラム国である。
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人類はこの問題について、あまりにも鈍感ではないだろうか。
これらを説明するキーワードとして、マインドコントロールが用いられる。
だが、ぼくはこの分析では物足りないと考える。
マインドコントロールという言葉は、そもそも人間は善なのに、たまたま悪意による誰かによってコントロールされたように聞こえる。
ぼくはそうじゃないと考える。
人間の本質は「善」でも「悪」でもない、「弱」である。
人間誰でも、残虐行為に至る素質を持っているのだと。
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人間が残虐な行為に至る段階は必ず次の段階を踏む。
1)人間は、先ずそんな状況に巻き込まれたくないと考える。
要するに関りたくないのだ。
見て見ぬふりをする。
2)ひとたび巻き込まれると、保身に走る。
自分が助かりたいがために、無実だと知っている者でも助けようとせずに見捨てる。
3)さらに進んで、加害者側に加担するようになる。
要するにわが身を守るために先手を打つのである。
密告がこの心理を説明する言葉に当てはまる。
マインドコントロールという言葉が不適切だと思うのはこれ故である。
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いつの時代にも、どの場所においても、心に悪を持った人間は必ず存在する。
これは仕方のないことである。
だが、問題は、その悪が拡散することである。
悪の拡散には、必ず協力者が必要である。
ポル・ポトがひ弱で勉強が出来ない人間だったことは番組を見れば分かる。
そんな彼が、200万人もの人間を殺したのである。
共犯者なくして、そんな実行力が彼にはなかったことは明らかである。
ヒトラーにしろ、スターリンにしろ、毛沢東にしろ、キム・ジョンイルにしろ、責任を問われるべきはその取り巻きはないだろうか。
もちろん共犯者には、ぼくも含まれるしあなた方も含まれる。
そこを分析せずに、これからも同じ問題は大小に関らず起き続けるだろう。
マインドコントロールで解決できるような特殊な問題ではないのである。
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人類はこの問題について、あまりにも鈍感ではないだろうか。