・・・・・・っということで、芥川シリーズのつづき。
【南京の基督】
芥川の作品はシニカルで一筋縄では済まないものが多いのは当たり前だけれど、これはその中でも相当ひねくれた物語と言えるだろう。
幼い売春婦の話。
最後まで、美談のような調子で書かれていて、最後に思いっきり皮肉を利かせる。
梅毒にかかった少女はその病気を客にうつさないように、客を取らないことに決めた。
ところが、ある客をキリストの仮の姿だと信じ込んでしまう。
お客は彼女と寝た後、代金を支払わずに姿をくらませてしまうのだが、彼女の病気は癒えてハッピーエンドとなる。
ところが、その男はキリストでもなんでもなく、タダで寝られたと吹聴して回るようなろくでもない男だったことが読者にわかる。
その男は死んでしまうのだが、読者は梅毒のせいだろうと想像できる。
もちろん少女はそのことを知らずに、彼をキリストだと信じたままである。
宗教へのちょっとした皮肉。
【杜子春】
これは芥川の作品の中では超有名。
ぼくも何度か読んだことがあるけれど、ほとんど忘れていた。
人間というものは欲深く、救いようのない堕落した存在だけれど、そんな人間にも親を思う気持ちは純粋なものである。
結局のところ、金持ちになったり仙人のような超能力を手に入れても、身の丈に合った自然体で生きる大切さを説く。
子供向けとして書かれた御伽噺だろうけれど、ハッピーエンドには大人もつい幸せな気分になってしまう。
【秋山図】
これも無茶苦茶ひねくれた作品。
ある幻の水墨画がある。
その作品の持ち主は貧乏で寂びれ果てた家に住んでいる。
ある絵画収集家がそこでその絵を一目見て名画だと分かり、売ってくれと頼む。
だが、その持ち主は絶対に売らないと断る。
その話を聞いた主人公が、数十年後にある金持ちがその絵を買い取ったと聞き、期待してその絵を見に行く。
ところが、伝え聞いたほどの感動が得られない。
だけれども、あの収集家が絶賛しているのだから、正直に言えず、素晴らしい絵だと言ってしまう。
金持ちも、名画であることの確証を得たいがため、他人の評価を気にしている。
そのうちに、絶賛した収集家もやって来るのだが、あのときの素晴らしさがその水墨画からは伝わってこない。
でも、素晴らしいと嘘をついてしまう。
金持ちはそれを聞いて安心するのであった。
同じ絵でも貧乏な家で見るのと、金持ちの家で見るのと受ける感動が異なるというのが種明かしで、本来の持ち主はそれを知っていたから売らなかったことが読者に分かる。
後日談で、あの絵を最初に見たときあれほど感動したのは何故なんだろうという問いに、感動した事実が大切であって、それで満足すべきだろうと語られる。
ちょっと分かりにくい話だと思うけれど、自分こそ芸術の価値を見抜く力があると自慢する評論家を痛烈に批判している。