むやみに言論の自由を唱えることなかれ | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・っということで、フランスで起きたテロ事件。

フランス中が「言論の自由」への攻撃だとして世論が一致している。

ぼくにはこれが何か釈然としない。

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犯行後テロリストが「アッラー・アクバル(神は偉大なり?)」と叫んでいる映像が流れていた。

キリスト教は「神の名をむやみに唱えてはならない」と教えている。

これは宗教として、とても優れた教えだと思う。

ぼくらはよく神頼みするし、失敗した時に神を呪う。

英語のスラングではよく神の名が出てくる。

本来の意味は、神の名を騙る者にはよくよく注意しろということだろう。

その伝で行くと、テロリストは神の名をむやみに唱えすぎている。

アッラー・アクバルと唱えることによって、自らの犯罪行為を正当化している。

イスラム教は都合よく神を使うことを禁止していないのだろうか?

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一方このテロを受けた側は、「言論の自由」をむやみに唱えてはいないだろうか?

ぼくにはこれが釈然としない理由である。

「ペンは剣よりも強し」という。

剣は目前の敵しか殺せないが、ペンは目に見えない多数の人を傷つけることが出来る。

ペンを使う者は、それの持つ威力には余程注意しなければならない。

Charlie Hebdo紙はその力を乱用していなかったか?

他の宗教を批判するのは自由だ。

だが、おちょくるのはいけない。

言って良いことといけないことのけじめを付けられない者に、言論の自由を語る資格があるだろうか?

アッラー・アクバルと叫んで自らの主張を正当化するのと何の違いがあるのだろうか?

言い過ぎかも知れないが、ペンが武器ならば、言論によるテロも大いにあり得るのである。

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ここで、誤解して欲しくないのは、Je suis Charlie(私はシャルリです)を掲げてデモをしている人々をぼくは批判しない。

彼らは、シャルリが発行部数3万部のくだらない刊行紙であることを知っているのである。

知った上で、シャルリが合法である以上、問題があっても守るのがフランス人の面子なのだろう。

問題はフランス人たちが、今回の事件が言って良いことといけないことの境目を本気で考える機会だと捉えられるかどうかである。