・・・・・・っということで、欧米人は日本人と比べて論理的である。
ぼくが中学生のとき最初に習った英語が、My name is Tom.だったかな?
Tom and Susieの世代である。
その前はJack and Betty?だったかも知れない。
いまの中学生は何を最初に習うのだろう?
・・・・・・
ぼくらの世代では「This is a pen.」というと、お笑いのネタでしかない。
鉛筆をかざして、「これは鉛筆である」なんていう機会、日常会話では有り得ないからである。
今の世代でも、昔こんな表現が大真面目に教科書の例文に載っていたなんて、信じられないだろう。
だが、田中将大選手がアメリカ大リーグに入団し、その記者発表で
「My name is Masahiro Tanaka」と自己紹介したとしたら、アメリカ人記者は失笑したに違いない。
あまりにも幼稚な表現だからである。
無理に訳せば、「ぼくねぇ~田中将大っていうんだよぉ~」かな?
もちろん文法的には間違っていないけれど、
大人なら「I'm Masahiro Tanaka」と言うだろう。
・・・・・・
さて、「This is a pen.」に話を戻そう。
そのまま訳せば、「これは、である、1本の、鉛筆」であろう。
この順番に日本人は参ってしまう。
こんな順番で考えないからだ。
「これは鉛筆である」と表現する。
これが自然である。
ところが、欧米人は、日本式の順番である「This pen is」じゃゼンゼン分からない。
そのあとに何らかの文章が来ると期待してしまう。
なのに、日本語はこれで完結してしまう。
彼らはイライラしてしまう。
しかもpenが「a」なのか「the」なのか、はたまた複数形の「pens」なのかサッパリ分からない。
ところが日本人はその鉛筆が特定のものか、概念的なものなのか、1本なのか、数本なのか気
にもしない。
日本語の順番だと、「これは鉛筆・・・」のあとに「かな?」と疑問形になったり、「じゃ
ない」と否定形になったり、「としたら?」と仮定形になったり、話の最後まで聞かなくちゃ分からない。
これにはイラつかないはずがない。
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すると、日本人は話している間に、聞き手の反応で結論を180度変えることだってできる。
つまり、日本人は初めっから自分に確たる意見を持たずに話し始めるのである。
これは鉛筆かと思ったけれど、箸かもしれない、
欧米人は逆だ。
彼らは先に結論があって、その理由を補足する形で展開するのである。
片や自分に確たる意見を持たずに会話を始める日本人。
片や自分に明確な意見を持って会話を始める欧米人。
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欧米人は日本人と比べて論理的であるという根本的な原因は言語の違いにあると言いたかったのだが、酔っ払ってしまい、おねむの時間になってしまったので、続きはあとで・・・