・・・・・・っということで、概ねブルガリア人は親切である。
それでも何度か不親切な人に出会った。
不親切な割合はトルコ人より多いようだ。
イスタンブール行きのバス切符を買おうとして、窓口のオバサンにイスタンブールと言っただけで大変な剣幕で拒否された。
その窓口でイスタンブール行きの切符を売っていることは分かっているのに。
イスタンブールが通じないわけがない。
ところがオバサン、頑なに拒否して取り付く島がない。
言葉が通じない外国人に切符を売ることを頭から拒否しているのだ。
要するに面倒なのだ。
面倒なことに係わらないためには、頭からはねつけるというのが彼女の処世術のようだ。
バスの運転手の中にも、こういう態度を取る人間がいた。
これは権力を持つ者に多い。
間違いなく共産主義の名残である。
道を聞いた中にも、バスの隣に座っていた人にも、少なからずこういう反応をする人々に出くわした。
もう係わりあいたくないと、逃げるように去っていった人もいた。
英語が話せないことを知られるのが、それほど彼らのプライドを傷付けるのだろうか。
それとも、ブルガリア語を喋らずに旅行などするなと言いたいのだろうか。
認めがたいが、その中に東洋人に対する差別の感情も感じられる。
こういう反応をする日本人は先ず居ないだろう。
何とか、片言の英語でも教えようとする気持ちを持つはずだ。
頭ごなしに、ピシャッと切符売り場の小窓を閉めてしまうような態度は絶対に取らないだろう。
逆に日本人は英語を話せない自らを羞じるような態度を示す。
間違っても、日本語を習ってこないオマエたちが悪いとは絶対に言わないだろう。
・・・・・・
こんなことでメゲていたら、海外旅行なんて絶対に出来ない。
逆に、その国の国民性を判断する格好の材料になる。
ぼくはそういう態度が悪いといっているのでは決してない。
日本人のような態度を取り続けると、結局のところ外国人を甘やかしてしまうのだ。
ケースバイケースで、ピシャリと日本語を覚えないオマエたちが悪いという態度を取ってもいいはずである。
外国人に本当の日本を理解させるために、鍛えてやる必要もあるのである。