・・・・・・っということで、バスの発車まで3時間ちょっとあるので、ローマ遺跡を巡って感じることを書きます。
ローマ人って、もうこれ以上文明の発達する余地は少ないと考えていた民族でしょう。
彼らの残した建築物やインフラを見れば、当時の技術が頂点に達していたと感ずるに余りある。
機械や、エンジン動力を使わずに人類が達成できる技術の頂点に近いとぼくは思う。
その証拠に、彼らの築き上げた石やレンガを積み重ねてアーチを形成する技術は、産業革命が起きるまで、ほとんど変わらなかったのだから。
そういう文化の飽和状態のとき、人間はどういう行動をするでしょう?
より快適さを求めるはずです。
より快適とは、より美味しいものを食べて、より快適な生活環境で暮らし、そして娯楽が必要だということではないでしょうか。
これをもってローマ人が快楽的だとは決め付けられない。
人間の本性は何世紀を経ようとも、変わらないはずです。
2千年前の人間の方が現代人より無知で野蛮だと見がちだが、それは間違っていると思う。
ペルガモンのアクロポリスを見て、エフェスの広大な遺跡を見て、パムッカレを見て、ネセバルを見て共通するのが、娯楽施設です。
大小の円形劇場、浴場、売春宿、競技場、そして神殿です。
神殿を娯楽施設に分類するのは乱暴だと思われるかもしれない。
だが、宗教は必ず娯楽と結びついているものです。
例えば、お伊勢参り。
江戸時代、伊勢に参拝することがブームになった。
なにも、宗教心が強いからではなく、行くこと自体が娯楽だったのです。
皆さんも、京都や浅草などの寺院に参拝するだけが目的で行きますか?
お参りというのは、旅行をする良い口実になるのです。
ローマの神殿だってそうです。
当時のローマ人たちは、神殿の周りの風景や娯楽を目的に旅行し、ついでにお参りをしていたのです。
遺跡発掘する考古学者たちは真面目なので、神殿中心に広がる市街地を見て、つい神聖な目的だと勘違いしがちですが、風光明媚で温泉が出ればローマ人は高い丘に神殿を作って観光地にしてしまうのです。
パムッカレなんか、それが顕著に出ています。
ちょっと内陸部で、交通の便は良くないけれど、そこには珍しい自然の風景が広がります。
温泉の量も豊富。
そこに退役した軍人たちや裕福な人達のための一大保養施設付き分譲地を開発したのです。
丘からの眺めは最高。
そこを永住地として暮らしませんか?
眺めのいいところに霊園まで付いていますヨ。
当時の宣伝文句まで思い浮かびます。
他の神殿遺跡もほとんど風光明媚な場所に建てられています。
何も、堅苦しい学問的な見地で遺跡を廻る必要はありません。
当時のローマ人が楽しそうに闊歩している風景を思い浮かべながら歩く、それが正しい遺跡の巡りかたなのです。